鹿島 田 浩二

36歳
会社員(エンジニア)

1994年度 日本オリエンテーリング選手権優勝
1991〜2005年 世界オリエンテーリング選手権日本代表
1991年度、1992年度 日本学生オリエンテーリング選手権優勝

(インタビュー・編集 円井基史)(インタビュー:2007年3月31日)







・どういった仕事をしていて、どのような生活スタイルですか?

入社11年(4月から12年目)で、エンジニア。
具体的には、浄水場のプラント設計・開発をしている。
地方自治体等が発注する公共事業が中心。

出社はフレックスだが、大体9:00〜9:15くらいに出社し、会社を出るのは21:00〜21:30が多い。
水曜日に織田フィールドに行くときは18:30頃に退社する。

仕事柄、打合せや現場での作業等で出張あるいは外回りが多い。
多いときは週に半分ほどは外を回っている。
今は週に一度くらい。




・競技的にベストの時期、その成績、
 およびその当時のトレーニング内容・パターンを教えてください。

競技的なピークは2回ほどあった。
一度目は25〜27歳。これは入社前後。
二度目は32歳の頃。2002年のシーズン。

一度目の時は、全日本(日本選手権)で優勝した。これは正確には24歳の時であったが。
また、WOC(世界選手権)で、ショート(今のミドル)、クラシック(今のロング)とも予選ボーダー直下であった。
予選通過までショートで15秒、クラシックで1分程度だった。
トラックの5000mのベストもこの頃。15’46程度。富士登山競走でも3時間10分程度だったと思う。
当時はトレーニングを距離でしかつけていなかったが、だいたい年間3000〜3500km程度。
100%Runで、水曜日にトラックのインターバル(1000m/3’00〜3’10×5本)や
ペース走(5000m/16'40〜17’00)をよくしていた。
その他の平日は基本的にジョグ4’30〜5’30/km×10〜15km、週末にはオリエンテーリングというパターン。
トレイルランは1〜2月に1度3時間程度。基本的にバリエーションが今よりも少ない。

二度目のピーク時は、陸上のタイムは遅かったが、富士登山競走は3時間9分程度だった。
オリエンテーリングの成績も良く、ワールドカップ(チェコ)のスプリントでは、
予選を10位で通過した(以前のインタ ビューを参照)。
年間3500〜4000km、400〜450時間程度。
水曜日はやはりトラックトレーニングだがタイムは20代よりも3%程度遅い。
山登りやトレイルランのトレーニングが月1〜2回と増えた。
フィットネスジムの会員になり、エアロバイクやクロスカントリーマシン、
筋トレなどのトレーニングも混ぜている。それでもトレーニングの90%はRun。




・最も忙しかった時期のトレーニング内容・パターン、
 またそのときの典型的な生活パターンを教えてください。

忙しい時期は、こちらも2回ほどあった。
2000年(30歳)と2006年(35〜36歳)。

2000年のときは仕事で非常に納期の厳しいプロジェクトでマネージメントをしていた。
月の残業は50〜100時間程度だったが、精神的なプレッシャーが大きかった。
鬱になりかけていたと思う。
離婚したのもこの頃で、公私ともにつらい状況であった。
このときは、オリエンテーリングの一線から(意図的に)離れた。
トレーニングも月200km前後で、維持だけしていた期間が半年ほどあった。

2006年は、仕事で周りの人の病気等で急に人員が減り、物理的に仕事量が増えた時期であった。
仕事にも慣れてきた時期なので精神的には大丈夫であった。
また子どもも生まれ、子育ても加わり、自由となる時間が減った。

子育てについては、妻がランナーでもあり、トレーニングに対する理解は得られている。
平日は(着替えや移動を除いた)ネットのトレーニング時間は1日1時間程度。
だいたい10〜13kmのランニングが中心で、他ジムでのエアロバイクや筋トレなど。
水曜日のスピードトレは月2〜3回今も続けている。
トレーニング時間は年間400時間、距離では3700km程度。
こうしてみると忙しい時とそうでない時のトレーニング量にあまり大きな差はないように感じる。




・時間を作るための工夫を教えてください。

自分は時間の使い方がうまい方ではないと思う。
村越さんに対する憧れで、背伸びをしてマルチな活動を目指した時期もあったが、向いてないと悟った。
今は自分なりの時間の使い方ができるようになったと思う。
工夫といえるかだが、何事も「惰性だな」と思ったらやめる努力をしている。
あまり行く気がしない酒の付き合い、2、3次会、惰性の残業など。
テレビはもともとほとんど見ない。
でもネットサーフィン(OL関係のサイト)だけは惰性でついつい時間を使ってしまう・・。




・人生の中で仕事はどういう位置付けですか?
 仕事へのコミットメントや、仕事に魅力を感じているかを教えてくださ い。
 時間は有限ですが、仕事や競技など、どうバランスを取っていますか?

仕事は入社して5、6年目まではまったく面白くなく、ほとんど苦痛なだけだった。
自分の仕事への情熱が足りないのかは分からなかったが、
ともかくオリエンテーリングに打ち込むことでそのうやむやを昇華していた。
今思えば仕事のパフォーマンスも低かった。
7、8年目頃から状況が変わり、会社だけでなく業界全体、技術動向が見えるようになって
今(12年目)は面白くなった。
自分の存在が企業で価値を有んでいるという実感もある。
でも今もオリエンテーリングの方がよっぽど面白い。
あくまで仕事は仕事。

古い考え方だが「お金は労働の対価」であり、人間は生きていく上で必ず働くことが必要。
「人生のために働く」のであり「働くための人生」ではない。

与えられたジョブをこなす分だけ時間を使った仕事のやり方から、
時間のある範囲でジョブをまとめる方向へ、ここ数年シフトしてきた。
最低限のトレーニング(月30時間以上)と家族との時間を差し引いた時間を仕事にあてるようにしている。





・飲み会、家族サービス等は、自分の中で位置付けられていますか?


まず、飲み会は少ない。
職場において、競技に取り組んでいる理解が得られているので、
飲み会に誘われにくいし、誘われても断りやすい雰囲気である。
(もちろん、入社当初は、付き合いの飲み会も今より多くあった。)

送別会等では、1次会で、グラス1、2杯で切り上げて、2次会は行かず、
その替わり、(本当はアルコールがある状態で運動するのは良くないが)
ジムのバイクで低負荷の運動をしたりしている。
1次会が終わってもまだ夜9時前とかなので、実は普通の日より自由になる時間がある。
また、飲み会がある日は朝走ることもある。
こうした、せこい努力自体はトレーニングとしての効果はないかもしれないが、
こだわりのマインドをもつことは競技者としてはどこか必要なのではないか。

デートは、今は(結婚して子どももいて)少ないが、家族の行事は優先している。
月に2、3日くらいの休日は、山にも森にも行かず一日家族と過ごす。

それ以外の遊びはしなくなった。
若い頃は、オリエンテーリングやトレーニング以外の遊びを人並みにしたい
という願望が強かったが、今ではそういう欲求は薄い。
年をとったせいかもしれない。




・プロ選手との差はどうしても生まれるはずです。
 ジレンマはありませんか?
 どこかに妥協点があるのでしょうか?
 プロ、セミプロへの道は考えない(なかった)のですか?
 アマチュアであることについてのどうお考えですか?


25〜27歳の頃は、迷いはあった。
世界選手権で結果を出せないのは、海外テレインでのトレーニング不足だと感じていた。
しかし現実的には当時結婚していたので、海外に長期遠征または移住するなどは難しい選択だった。

現在では考えが変わっており、僕自身にとっては、日本において安定した基盤を作った上で、
競技を続ける選択が、結果的に良かったのではないかと考えている。
安定した基盤とは、定職であり、安定した収入である。
仕事をすれば時間は取られるが、その分お金は得られる。
仕事以外の時間は、自由に使えるし、お金にも余裕がある。

アルバイト等では、自由になる時間はより多く得られるが、収入が少なく、それが行動の制限となる。
また、次の職を探すときに、時間を無駄にしてしまう。
もちろん、そういう選択を否定するわけではなく、
僕個人の性格・能力を考えたときに、その選択はうまくないと考えている。
自分自身、他人を巻き込んで何かをやることが苦手である。
僕自身としては、そういったいわばリスクのある生活の選択は
(誰にでもこなせるものではなく)、慎重になる必要があると考えている。

現時点の日本では、選手が北欧に渡る場合でも協会、スポンサー、有志等の
サポートも十分ではなく、(オリエンテーリング以外の)自立した生活をきちんと作らない限り
北欧でのトレーニングも長続きしないだろう。

また、僕自身が、20代で、北欧に移り住んで、トレーニングを積んだとしても、
世界選手権の決勝で、20〜30位くらいが限界だったろうと思う。
これは自分のポテンシャルに対する否定的な考え方というよりも、
世界のレベルがどれだけ高いかを実感し、それだけオリエンテーリングという競技の
質の高さ、素晴らしさを感じている証だと受け取って欲しい。




・話はそれますが、選手としてのポテンシャルとは具体的にはどういった ことでしょうか?
 もし強化する側になったとして、日本人が世界選手権で10位や20位になるためには、
 どういった道筋が考えられますか?

その選手にポテンシャルがあれば、北欧に遠征したり、移住したりしなくても、
世界選手権決勝で20〜30位は十分行けると思う。
逆を言えば、ポテンシャルのない選手であれば、いくら北欧に行ってトレーニングをしても、
ある程度の結果までしか残せないだろう。
厳しい見方だがそれが競技の世界だ。

オーストラリアやロシアの選手で、北欧に行って速くなる選手は確かにいる。
しかしその選手達は、もともとポテンシャルがある選手。
北欧に渡る前から、ジュニア選手権や、世界選手権の予選などで、その片鱗がある。
北欧での経験はその選手のポテンシャルに近い力を引き出すのが主で、
ポテンシャルそのものが飛躍的に向上することを期待したとしたら、それは我々の幻想だと感じる。

ここで言うポテンシャルとは、@フィジカル、Aナビゲーション技術、
B自己マネージメント能力(トレーニングにより自己を向上させる能力)、
の3つの潜在的能力だと個人的には考えている。
この中で最低2つは必要。
あるいは、2つが平凡でも、1つが突出していれば良い。
3つの総合点というイメージ。
厳しい言い方だが、現時点の日本選手で、世界選手権での成功(例えば入賞)を考えた場合、
フィジカルのポテンシャルがある選手、自己マネージメントできる選手、個別に合格点の選手はいるが、
それを2つ、あるいは総合して高いポテンシャルを持っている選手は、
番場は別としても、存在していないように思う。
自分の場合世界レベルで見て、ナビゲーション能力には恵まれたが、
フィジカルと自己マネージメント能力は平凡であった。
あと、選手の3つのポテンシャルの他に、外的要因として、C環境、が挙げられる。
3つのポテンシャルの引き出すやすさに影響する。
日本は環境の整備が遅れている。
これを補うのが北欧への移住だろう。

こうした観点からは強化を考えると、マクロな視点では、A代表(フル代表)よりも
(自己のポテンシャルに近い能力を発揮するチャンスのある)もっと下
(つまり大学生やジュニア)へ強化の重点を移した方が良いと考えている。
現在は多くの選手が大学時代にオリエンテーリングに目覚め、
就職等による環境の変化を乗り越えた25歳前後から本格的なトレーニングをはじめる。
しかしそれでは身体能力の最も伸びる10代後半〜20代前半の時期を過ぎてしまっている。
いかに若い頃から継続して世界を目指せる環境を作るか。
一つの課題だと思う。
十分な解決策ではないが、ポテンシャルのある選手が入りやすい入口を作ることを考える。
大学クラブの勧誘は大きな入口である。
そこでの勧誘でポテンシャルの高い新入生が入りやすい入口になれば、
世界選手権10位〜20位であれば、ぎりぎり間に合うと感じている。
もちろん同時に、中高校生クラブの活性化も重要だが、中高校、大学1〜2年、大学4年、それ以降と、
いくつかの結節点があり、それをうまく乗り越えられるかどうか。
良い選手を恒常的に育成するには道のりは長い。
地道な努力が必要だと思う。
また、近年日本では、トレイルランなどが活発となり、フィジカルを鍛える環境も恵まれつつある。
トレイルラン等を利用して、フィジカルは鍛えられると思う。
最近のA代表選手のトレーニング量は以前に比べて増えたと感じる。
そういう選手が増えることは後進の選手にとっての刺激となり「環境」が改善していることを意味するだろう。

2005年の世界選手権に向けて、小野清子さん(日本オリエンテーリング協会元会長)のもと、
陸上界とのコネクションの道が開け、チャンスだと思った。
陸上界からOL界への流れとして。今は十分効果があったとはいえないが、
そうした他種目へのオリエンテーリングの認知は地道に必要だ。




・おまけ:年齢(加齢)とのつきあいについて、どうお考えですか?

歳を取れば体力が落ちるのは当たり前。
その中でのチャレンジを考えている。

持論としては、加齢で低下するのは、その選手の潜在的なポテンシャルのMAX値。
例えば、5000mのタイムで、20代での潜在的ポテンシャルのMAXが15’00だとして、
それが30代半ばでは15’30に低下する。
20代のとき効率の悪いトレーニングをしていて、
ポテンシャルの7割(例えば16’00)しかパフォーマンスを引き出せなかったとしたら、
30代半ばの今、効率的なトレーニングを行い、今の自分のポテンシャルの9割(例えば15’45)を
引き出せば、20代のときより速く走れる可能性がある。
そう考えてトレーニングしている。




・最後に、仕事と競技を両立させようとがんばっている、
 あるいはその挟間で悩んでいる若者へのコメントをお願いします。

レベルの低い話かもしれないが、競技を続けて良かった点として、
歳の近い同僚達が成人病になったり、メタボリックに悩んだりしているが、それとは無縁である点。
30代半ばにもなると心からオリエンテーリングを続けていて良かったと感じる。

社会人になったばかりの頃は、物理的な時間の問題よりも、メンタルの負荷が大きいことが多い。
定時で帰れても、メンタルな問題で思うようにトレーニングできないこともある。
そういうときは辛抱することが大切。
また、慣れてきたら、自分に合うトレーニングの習慣を見つけること。

現在の会社は、まだまだ保守的な会社が多い。
ただほとんどの人は異質なものを拒否しているのではなく、受け入れるのに時間が掛かるだけである。
(新入社員の頃は難しいかもしれないが)競技を続けていれば少しづつ理解してくれる。
周りとのコミュニケーションを大事にして自分のスタイルをさりげなく浸透させていくのが
自分としては一番良いのではないかと感じる。

繰り返しになるが、今でも夢をもって走っている。
競技を続けていて本当に良かったと感じる。
一人でも多くの選手に夢を忘れずに走りつづけて欲しい。


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