村越 真

46歳
大学教員

IOF(国際オリエンテーリング連盟)理事
日本オリエンテーリング選手権 優勝22回(15連覇含む)
世界オリエンテーリング選手権出場 13回
2005年 世界オリエンテーリング選手権 競技責任者
2001年 ワールドゲームズ(オリエンテーリング) 技術代表者
2000年 オリエンテーリングワールドカップ ナショナルコントローラ

(インタビュアー 円井基史 2006年8月3日)






・はじめに(村越氏より)

まず僕の職(大学教員)は自営業に近いので、他の人の参考にならないかもしれない。
時間の作り方は、ある程度、融通できる職である。
昼は授業で拘束されることが多いが、夜以降は比較的自分でコントロールできる。

基本的には、19〜20時の1時間にトレーニングすることにしている。

最近、特に去年などは、日本開催の世界選手権の運営準備で忙しかった。
平日よりも休日の方が忙しい感じだった。
トレーニングの量を確保することは、厳しかった。




・忙しい中で時間を作るための工夫を教えてください。

(飲み会はよく断っているが、それでも)外せない飲み会があるときなど、
トレーニング時間が確保できない日は、
自転車で学校に行く(片道11km、30分くらい。普段は車で25分ほど)などで補っている。

前にも言ったが、テレビは見ないし、1日の間で無駄な時間はほとんどない。
(医者からは、無駄な時間を作れと言われたほど。)

自分の経験から、月40時間くらいのトレーニング量が、
世界選手権の予選通過レベルだと感じている。
2001年ロングで予選通過したが、月300kmは走っていない。
月間30〜35時間程度のトレーニング量だった。

イーキスは、世界トップレベルは、月60時間程度だと言っている。

月40時間のトレーニングが無理なら、
アスリートをやめるか、生活を変えるのか、どちらかを選択したほうが良いだろう。




・ 家族サービス等は、どう位置付けられていますか?

幸いなことに、妻がオリエンティアであり、
オリエンテーリング活動に対する理解は得られている。
その点では、配偶者に恵まれていると言える。

家族サービスについて、僕はその存在を信じていない。

1つのことに立ち向かっている親の姿を子供に見せることが教育の一つのあり方だと思う。

子育てについて。
生まれて半年は、夜中に定期的に泣くので、十分に眠ることは難しい。
二人目が生まれ、子育ての作業が増えるに伴い、子供を風呂に入れる役目を担ったが、
風呂に入れる時間が18時頃で、トレーニングをしたい時間とバッティングするなど、
トレーニングに対して困難な場面に遭遇することは多い。





・競技的にベストの時期、その成績、
 およびその当時のトレーニング内容・パターンを教えてください。


子供がまだ小さい頃の、1992年頃がフィジカル的なピークだった。
この頃は、陸上部とトレーニングをしていた。
3000mで9分20秒ほど。
5000mは測っていないが、15分台は出たと思う。

1992年、93年、32-33歳が体力的なピークだった。
1991年、93年の世界選手権は、ともに16位で、秒差で予選落ち。
(このときは子育てもあり十分なトレーニングを確保できなかったので、
ロングは走らず、ショートだけに絞って出場していた。)

世界選手権のピーキングがうまく行ったのは1997年で予選通過を果たした。
この頃のトレーニングは、平日はやはり晩の19-20時ごろ。
定番は日本平を一周(すべて舗装道、約20km)。
また、トレーニングジムなどの練習もある程度工夫しはじめるようになった。
週末は主にオリエンテーリング。




・最も忙しかった時期のトレーニング内容・パターン、
 またそのときの典型的な生活パターンを教えてください。


最も忙しかったのは2005年(世界選手権準備)。
直前3ヶ月間くらいはひどく忙しかった。
そのときの走行距離は月間150km程度。

生活パターンは、朝は子供と一緒に7時には起きる。
夜は0時前には寝るように努めた(午前1時を回ることもたまにあったが)。
平日は大学、週末はWOC準備。
大会中はテレインまでの移動で自転車を使うなど、忙しい中でも工夫して運動を継続するようにした。
(自転車はマウンテンバイクとロードレーサーを持っている。
重たいのでトレーニングになるだろうと、マウンテンバイクを使っていた。)





・人生の中で仕事はどういう位置付けですか?
 仕事へのコミットメントや、仕事に魅力を感じているかを教えてくださ い。
 時間は有限ですが、仕事や競技など、どうバランスを取っていますか?

仕事はとても重要なものだと捉えている。
仕事も競技と同様、一流、あるいはその世界で名の知られた存在にはなりたいと考えている。
地図に関する認知心理の分野では、国内では、そういう存在になることができたし、
今後は、国際的に知られるために、英語の論文を書いていく必要があると考えている。

仕事も競技も、両方しっかりやっている。
どちらも中途半端にしようとは思わない。

ただし、時期によっては、どちらかにウェイトを置くときもある。




・プロ選手との差はどうしても生まれるはずです。
 ジレンマはありませんか?
 どこかに妥協点があるのでしょうか?
 プロ、セミプロへの道は考えない(なかった)のですか?
 アマチュアであることについてのどうお考えですか?

ジレンマについて、今はない。
年齢的に厳しいし、今は、年齢的な問題の中でのチャレンジをしている。
世界選手権という場に、競技者としているだけで、チャレンジ。

世界トップ選手について、彼らは彼らのやり方、
自分は自分のやり方、というように考えている。
それぞれの立場で、それぞれのやり方があって良いと思う。
   
昔は、特に20代後半から30代前半にかけては、
仕事も競技もどちらも中途半端なのでは、という不安はあった。
また、1年間大学を休学してオリエンテーリングに集中的に取り組むなど、
どちらかにウェイトを置こうかとも考えたことはあった(休学は結局しなかった)。
当時はプロ的な選手もほとんどいなかったし、
日本の中でのオリエンテーリング環境を見ても、
それをするだけのモティベーションの高まりはなかった。
今思うと、オリエンテーリングの技術はともかく、
それくらいの寄り道はしてもよかったと思うこともある。

もっと若い時期、もっとトレーニングしたとしても、
自分のフィジカル能力を考えると、世界トップ10は無理だったと思う。
うまく行って20位が良いところだっただろう。
(テクニカル的にはまだ可能性はあっただろうが。)

そういう自分の能力を見極めた上で、
地図作製や大会運営、IOF連盟理事など、競技者以外の場所への道を
(無意識的に)選んで行ったのかも知れない。

同級生で、精神科医の香山リカが、
彼女の本(「就職がコワイ」講談社)の中で、僕のことを取り上げて書いていたことがあった。
僕の今の働きを見て、世界に最大限自身を活かす道を選んだのだと、彼女は分析したそうだ。

もともと大学教員になろうとも思っていなかった。

学部と修士で都市工学を学び(東京大学)、
その後、体育学の大学院で修士を取った(筑波大学)。
当時は、寄り道程度にしか思っていなかった。
2回目の修士課程卒業後は都市工学のコンサルタント会社、
あるいは、パソコン等電器メーカーの認知科学系の研究所に就職しようと思っていた。
そうしたら、たまたま大学教員の話が来た。
戦略的に今の職を選んだわけではない。

大学ではなく、民間の研究職として働いていたとしても、
今の羽鳥のように、トレーニング量の確保という面では、なんとかなったと思う。
ただ、世界選手権の運営や、ワールドカップ招致などは、
民間のサラリーマンとしては、無理だったろう。

大会運営も好きだ。
若い頃から自分でコースを作ったり、地図を作ったりするのが好きで、
そしたら、他の人にも走って欲しくなって、大会を開くことになる。
大会を開催すると、大きな達成感を得られる。
運営そのものというより、その達成感が好きなのだと思う。
これは、競技や仕事や、文章を書いて本を出版することにも通じることだ。





・おまけ:年齢(加齢)とのつきあいについて、どうお考えですか?

32、33歳、あるいは35歳までは、トレーニングすれば、その分、強くなる実感があった。
35歳後半になると、トレーニングしても強くなれない。また疲れやすくなる。
この部分は、レストを入れたり、疲れ抜きをしたりと、工夫した。
41、42歳あたりまでは、そういう感じだった。

43歳の世界マスターズの大会で、レース中に動悸がして、
レース後も頭が重く、心臓の検査を受けたりもした。
これが不調への序曲だったようだ。
それでも2005年の世界選手権の準備に向けて、気分は高揚していたので、
休みもあまり取らず仕事をした。
しかしその忙しさが終わった半年後(45歳のとき)、
自律神経系の失調症状が出て、2005年の冬に倒れた。
その後、うつに近い症状も出た。
これは加齢による影響(つまりは更年期障害)もあるし、
この6年間は公私併せてほとんど休みのない状態でやってきた
(世界規模の大会を3つ開催し、本も8冊出した)。
その結果としてある程度は仕方ないと考えている。
今後も様々な領域で活発にやっていけるよう、しばらくはペースダウンするつもり。

他のスポーツを見ても、40歳までトップで活躍するアスリートは存在する。
しかし、40歳を越えて、トップでいることは難しい。




・仕事と競技を両立させようとがんばっている、
 あるいはその挟間で悩んでいる若者へのコメントをお願いします。


1つは、焦らないこと。
人生には、トレーニングできない時期がある。
2-3年のタームで考える。

2つ目は、仕事というものは、やればやるほど、有能であればあるほど、増えるもの。
仕事に際限はない。
どこかで割り切る。
付き合いも同様。

余談として、かつて世界選手権にも出場した西田さんは、
飲み会や付き合いを、しばらくの間、ほとんど断ち、競技にコミットしていた。

繰り返すと、
1つ目は、焦らないこと。
2つ目は、割り切ること。



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