1人TJAR(勝手にトランスジャパンアルプスレース)の報告


フィニッシュ直前(簗場さん撮影)


1.はじめに
今回、FB(Facebook)で山行経過を報告し(自身のガラケーの都合、FBでのみ、経過報告可能と判明した。TwitterはNGだった が、時間差で妻が代理で投稿してくれた)、応援コメントを多く頂き、それに応える形で、今回の取組みの経緯をここで簡単に紹介・報告したい。

2.TJARと私
学生時代より所属した多摩オリエンテーリングクラブに田中正人氏がおり、田中氏が参加した2004年頃よりTJARの存在を知る(私が管理する情 報の共有化Webにも報告あり)。2008年大会では観戦目的で登山し、黒部五郎小舎あたりで宮下、飴本選手らに会えた。最近では妻がTJAR選 手の連載を担当している(例:MtSN連載「TJAR2014 30人の勇者たち」)。いつかは出てみたいと思うも、子供が小さく、仕事も忙しく見送ってきたが、だいぶ子供が成長してきたので(2018年で小3)、 (2016年頃に)2018年大会に挑戦することにした。

3.抽選外れと1人TJ
TJARに向けて準備を進めるも、30名限定大会で、抽選外れの可能性は分かっていたので、抽選で外れたら1人でやろうと決めていた(というのは 言い過ぎだが、振り上げた拳を収める方法として1人TJを選んだ)。TJARの趣旨は、選手各自がレース主催者であり、30人がたまたま同じ日時 にスタートする自己完結型のレースだから。大会が用意するサービスは市野瀬デポのみ。なので、1人TJは全く問題ない(今回、結果として、選考会 は通過できたが、抽選で外れた)(本戦と同時期に行うと、運営や応援側に影響が出そうで、本戦選手とクロスしないよう考慮)。

4.1人TJの目的
1)コースの踏破(過程の経験)
2)TJAR創設者岩瀬幹生氏や田中正人氏への挑戦(敬意とトレース)(今回のタイムの目標は、2004年田中選手初挑戦時の6日間と2時間)
3)TJAR選手の多くが「感動した」等発言し、大会に魅了されているが、自分は感動するのか、魅力を感じるのか?

5.簡単に結果
2018年8月14日(火)午前0時 ミラージュランド(日本海)スタート
8月21日(火)午後19時07分 大浜海岸(太平洋)ゴール
タイム 7日間と19時間07分
1)コースについて。とにかくスケールが大きすぎた。試走は何回かしていたが、全部通すと全くスケール感が大きすぎ。一番の感想は「これを思いつ いて実行した岩瀬氏はクレージーだ!」(敬意をこめて)。
2)タイムについて。目標の「6日間と2時間」より1日半以上遅れた。その考察は後ほど。
3)ゴール後の感想。自分は感動しない(感情に乏しい)タイプで、予想通り、ゴールしても(現時点では)達成感、感動は少ない。スタート前から 「地獄しか見えない」と発言しており、その予想通り9割はきつい、つらい時間だった(望月選手の言葉を借りるなら、きっとそれが自身を成長させて くれるはず)。

6.準備と調整
1)準備、トレーニング
問題なく進められた。仕事が比較的忙しくない(2018年)3月には自身最高の月間600km超を走り込んだ。アルプスの試走は、2016、 2017年で、一通り終えた(未踏区間は、野呂川越~塩見岳くらい)。ただし、毎年4-7月は仕事が忙しく、選考会へ参加するのも相当な苦労で連 日の睡眠不足がひどかった。7月は高地順応と登坂力強化で白山に通った。(8日間以内の)完走はできて当たり前、タイムは6日間を切れるかどう か。
2)直前の帯状疱疹
直前、7月末に帯状疱疹という病気(水痘・帯状疱疹ウイルスによる感染症)になった。幸いなことに、素早く発見し、すぐ病院へ行き、投薬を開始し た。8月1週目は、だるさ、眠さで仕事にも支障が出た。ランはおろか、自転車すら乗る気がしない体調。色々調べて、完治まで2-3週間という記述 が多く。当初スタートは本戦スタート2日前の8月9日を予定していたが、帯状疱疹の様子により、本戦スタート2日後の8月14日発を第二候補に、 さらに出走見合わせ、あるいは出走しても途中リタイアを視野に。(帯状疱疹の神経痛は8月12日くらいに収まった。)
3)直前まで仕事、睡眠不足
8月に入っても想定以上に仕事量が多く、結局、仕事の都合もあり、スタートは8月14日を選択した。直前の12日まで仕事に追われた。抽選に当 たっていたらまずかった。当初、スタート直前1週間は睡眠負債の返済のため、たくさん寝る予定だったが、それもできず。

7.山行(1人TJ)の評価
全体としては、ミスも少なく、ほぼ問題なかった (例えば試走や練習では、携帯電話を忘れて戻って数時間ロスしたり、地図を落としたりしたが、そういう致命的なミスは防げた) 。その中で思い付けるミスは以下の3つ。
1)直前の調整不足(帯状疱疹と寝不足)(たぶんこの影響で、前半3日間で想定「6日間と2時間」ペースより、約24時間の遅れ)。
2)それ(帯状疱疹と寝不足)に関わらず、当初の「6日間と2時間」計画を遂行しようとして、前半オーバーペース。結果として、特に太ももの筋肉 が大きなダメージを受け、最後のロード85kmで失速(ここで想定(6日間と2時間)ペースより約12時間の遅れ)。
3)6日目の晩(百間洞)、プチプチベストを途中で紛失(落とした)ことに気付く。その夜は暖かく、また、それ以降は下界だったため、問題はな かったが、一歩間違えれば、睡眠環境を悪化させる大きなミスになりえた。

8.本戦との主な相違点
基本的には本戦と同じルールに従った。主な相違点は以下。
1)(選考会時、火器バーナーを使ってラーメン食べても、寒さで眠れなかったので)(2018年大会より新たに必須装備に加わった)火器バーナー の携行は見送った。
2)妻が運転する車にデポ用品を入れ、駒ヶ根か市野瀬で受け取る予定としたが、妻や子供の都合で会えない可能性があるので、デポがなくても完走で きるよう、スタート時に地図は全て持ち、ヘッドライト用バッテリーも多めに携行した。

9.経過の詳細
池田さん、まとめ、ありがとうございます。お借りして、加筆。

■1日目 8/14(火) 晴れ 夕方より雨
0000 ミラージュランド(富山県魚津市)スタート 妻に加えて、何と同じチーム(MH.TRC)メイトの上田夫妻が駆けつけてくれた。感謝。直前に日本海に指 タッチ。
0340 馬場島(ロード区間) 三ヶ所道迷い(間瀬ルートの草むら?、橋渡らずオーバーランで500m行き過ぎ、橋が通行止めでさらに戻る等) まあまあ暑く、汗かく
0630 早月小屋 「疲労と眠さでもうボロボロ」 この時点までで登山道にゴロ寝を数回。70歳?くらいの男性登山者の方が速いくらい、こちらのペースは遅い。  カップ麺の注文、食事、足裏ケア(5-6時間に1回プロテクトJ1)などであっという間に25分くらい掛かってしまう。
0833 天下の劔岳
0955 剣山荘 カレーライスを食べたが少し残す(この頃から食欲不振) / カニのタテ・ヨコバイで渋滞 晴れて絶景 身体中がもう臭い
1213 大汝山(立山)
1300 一の越 / 立山人気 渋滞 
この後、人のいない山 眠くて 顔ゆがめて 片目眠ったまま下る感じで危険
1516 五色ヶ原山荘 やや寒い カップ麺を食べるが、残した。この後小雨。「もう疲労困憊で予定通りの完走は厳しい」と妻にメール
1900 スゴ乗越 「やられています 眠いです」 薬師岳方面が雷鳴。当初の計画ではこの日は黒部五郎小舎泊だが、全く無理な遅れ。雷雨の薬師に突っ込む気になら ず、スゴで寝ることに。寒さで、2時間で起きてしまう。この2時間で、雨雲が消え、ツエルトの外は星空で晴れている。
<2時間睡眠>
2200 行動開始。薬師岳への登り、途中眠くて、2回ほどゴロ寝する。

■2日目 8/15(水) 快晴 午後より大雨
0105 薬師岳登頂 
眠いので、何と薬師峠で、今夜2回目のツエルト泊。薄着で寝たので、また2時間で目が覚めて再行動。
<2時間睡眠>
睡眠不足が解消されず、「眠気」「食欲不振」「吐き気」などでペースが上がらない。食欲不振、さらに吐き気は自分にとって珍しい。アクエリアスを チビチビ飲みながら繋ぐ。
歩くスピードもCT(コースタイム)並みに遅くなり、これは完走は厳しいなと。リタイアを考え出す。
黒部五郎岳手前の中俣乗越あたりで、30分ほどゴロ寝。たぶんこれで復活し、ペースが戻る。睡眠大事。
<30分睡眠>
0920 黒部五郎小舎 ここで頼んだラーメンが超絶おいしい。食欲も戻った。
1155 双六小屋 午前中快晴だったのに、急にこの後大雨に 
槍ヶ岳への登りは台風並みの暴風雨。まだ1日半しか経っていないが、気のせいか、手足が少しむくみ出したような?
槍ヶ岳山荘ではカップ麺2つ食べ、穴の空いたカッパズボンを針と糸で縫うなど。
1925 横尾 雨。眠くてここのキャンプ場で眠ることに。当初、毎日3時間睡眠の計画だったが、現在の睡眠不足の状態だとペースも上がらないし気持ち悪いので、記 録を狙うより、毎日しっかり6時間ほど眠って完走を目指そうと思う。また多くの選手が参考にしている木村選手は毎日5時間睡眠だったと聞く。寝る 前に食事をすると体が温まりそこで眠り、2時間ほどで、寒さで目が覚める。再度食事して再度2時間眠るのサイクル。
<6時間睡眠>

■3日目 8/16(木) 雨のち大雨
0450 上高地 雨  途中の車道で、何と再び上田夫妻の応援。ありがとうございます。沢渡まではほとんど下りなことに驚く(車の運転では気付かず)
0720 沢渡(以降、旧木曽駒スキー場までロード区間) 食堂が開いていて助かった。朝食定食が超絶うまい。
噂のトンネル区間。初めの頃は歩道があり余裕だったが、途中から歩道?の幅が30cmほどとなり、車道を走り、車が来たら、脇によけるを繰り返 す。
0900 奈川渡ダム
1228 境峠 / 登りでは歩きながら眠ったり夢をみる
1355 スーパーまると手前約4kmの蕎麦屋で「天ぷらそば大盛り」を食べる(その後、まるとはスルー)。蕎麦屋の先の公衆トイレで妻と子供の 応援受ける。
1527 藪原駅 / 大雨洪水警報 この日は2-3回、豪雨の時間帯あり。藪原駅の先で電光掲示板に「大雨警報」とあったり、放送で「洪水警報」と聞こえたり。
1715 セブンイレブンでパンと、今夜だけのために防寒用のTシャツ1枚を買う
1920 旧木曽駒スキー場 夕暮れ(マジックアワー)の木曽駒スキー場あたりの別荘地が、感じが良い。自然と人工の融合の美しさと、そこに感じられる幸せな家族の 生活。
<5時間睡眠>

■4日目 8/17(金) 快晴
0508 木曽駒 山頂でタイミング良く日の出。登山口から山頂までCT約8時間、想定4時間45分のところを、何と3時間半というハイペースで登れる。しかしこの オーバーペースが後に響くことに。
0525 宝剣山荘 カップ麺食べる 妻から聞いていたが、パンが50円
宝剣山荘から空木岳の区間でペースダウン。登りが登れなくなる。高山病かもと思い、吐くことに重点を置いた呼吸法で淡々と登ったり試行錯誤。空木 岳の登りはCT 90分を75分?と遅い。
1205 空木岳 
空木岳から菅の台への下りで、下りの筋肉が終わってしまう。この先が不安になる。また眠くて寝ながら下り。途中立ったまま眠っており、登山道に立 つ市岡さんと会話するも、(それは夢で)目を覚ますと目の前には誰もおらず。
1545 菅の台 / 脚の筋肉がポンコツに。登り下り平地がペースダウン
菅の台駐車場で、妻の車よりデポを受け取る。主な行為は以下。
1)シューズの交換(同じ種類・サイズ)
2)靴下に穴があいたので交換(同じ種類・サイズ)
3)ふくらはぎが浮腫みだしたので、大きめのレッグカバーへ交換
4)不要となった地図、バッテリー類、ゴミ類(+昨日買ったTシャツ)を預ける
5)右アキレス腱が痛みだしたので、ニューハレテープを貼る
6)腕時計が浸水して表示がおかしくなったので交換
ここからのリスタートは、気持ち的に、ハセツネをゴールした直後、体中ボロボロな状態でUTMFを出走する感じ。
家族へは「毎日いつも、やめたいと思っている」。子供に「完走目指して」と言われるも「完走は約束できない。行けるところまで行く」と答える。
1715 コンビニで明日の行動食(パン)購入
1740 すき家で「キムチ牛丼大盛り・豚汁たまごセット」を食べる。
市野瀬へ向かうも、脚は重く、登りは歩きで、途中の中沢峠が遠く、心が折れ、また峠から市野瀬も遠く、再び心が折れる(選考会時は近かったの に)。このコースを考えた岩瀬氏はクレージーだと思う。市野瀬手前で仮眠。起きると、顔もむくみ出したかも。
<5時間睡眠>

■5日目 8/18(土) 快晴
0427 市野瀬(ロード区間)「ひたすら長かった」
ここから南アルプスへ。地蔵尾根の登りの最初で後ろからランナーが来て、聞くと、昨年ミラージュから駒ヶ根を3日間強でこなし、今回は駒ヶ根から 大浜海岸まで行くという中島さん。樋山君と同じ職場。共通のラン仲間も多い。この後、熊の平、百間洞のテン場でゆっくりして、最後、大浜まで抜け ると言う。30分ほど会話して、先に行ってもらう。
(昨日のように、前半飛ばして後半失速、さらに筋肉が終わることがないよう)序盤から「牛歩」作戦でゆっくり脚を温存しつつ登るよう心掛ける。
1050 仙丈小屋 次の山小屋・熊の平への到着が18時過ぎる可能性を考え、ここで大量の食糧調達を考える。無水カレー大盛りを食べ、さらに普通盛りの無水カレー を再注文。
1141 仙丈ヶ岳
この日は、睡眠も多く取れ、ペースもゆっくりながら、当初の計画タイム通りに進み、天候も良く、珍しく「楽しいかも」と思える(山行中の9割は 「きつい、つらい」と思っている)
1720 熊の平小屋 18時に間に合った。カップ麺2つ食べながら、周りの宿泊客と話す。ここではなぜかTJARを知っている・応援している人が多い。もらった情 報として、昨夜はかなり冷え込み、氷点下になったり、霜が降りたりした。今夜も寒い予報と聞く。このまま塩見岳を越えて三伏峠で深夜1時より野営 する予定だったが、今ここで暖かいうちに眠るのと、より冷え込む時間帯の三伏で眠るのと、どちらが良いか選択に迫られる。自分は寒さに弱いので、 ここで今から眠ることを決める。
しかし本日は13時間ほどしか行動していない、まだ夜が早い、疲れていないからか、目を閉じても眠れない。5時間眠りたかったが、3時間目を閉じ ただけで、21時半頃より再行動。
<3時間横になる 一睡もできず>

■6日目 8/19(日) 快晴
0122塩見岳 塩見岳を北から登るのは初で、明るいときに景色を見たかった
0422三伏峠 / 昨日は脚の筋肉を温存したのに 今日既にまずい
2年前、試走で、三伏峠から静岡駅まで32時間で走った。さらにこのとき紺野選手も私と同じペースで三伏から大浜を走り(信じられないスピー ド)、5日間と7時間でゴールしている。よってここからは、そのタイムが一つの指標となる。
0625 小河内岳避難小屋 大盛りカレー(半生の玉ねぎ入りの辛口)を食べる。洋楽が流れるオシャレな小屋。
1206荒川前岳 長い長い登り。1-2時間かかるこのような登り、選手達は何を考えているのか?(イヤホンで音楽でも聴きたい)
荒川小屋で荒川丼食べる
1535赤石岳 「脚がむくみ また下りの踏ん張りが厳しく」 避難小屋でパン購入。ゴール時刻の計算をする。「大浜ゴールは順調に行けば火曜(21日)の午前7時から正午」と妻にメー ル。22日(水)朝9時から石川県で仕事がある。
太もものむくみが目立つ。昨日温存したが、再び下りの踏ん張りが厳しく。百間洞山の家まで大きく下る。中島さんに抜かれて良い頃だと思うが。
1740? 百間洞山の家 18時までに間に合ったのでカップ麺2つ注文。ここの山小屋の人は、TJARについて批判的な意見をお持ちだった。
この後、寝る準備中に、防寒用の(手作り)プチプチベスト(2着)がないことに気付く。ザックの外のゴム紐に取り付けていたので、何かの拍子に落 ちたことが考えられる。自分は眠る際寒さに弱いのでピンチだが、幸いなのは、明日から下界だということ。山小屋のTシャツを3枚ほど購入すること も考えたが、18時を過ぎていたので止める。今夜も5-6時間寝たかったが、2時間の仮眠で我慢しようと寝床に入る。このとき、2014年紺野さ んが「ヘルメットは枕にもなった」と言っており、どういうことだろうと考える。ヘルメットをしたまま寝るということかと試してみる。すると、ヘル メットは地面からの断熱になり、頭の高さも心地良い。寝返りしても問題ない。食事→2時間睡眠→目覚め→食事→のサイクルを3回し、結局6時間の 目覚ましに気付かず、7時間半ほど快眠できた。ただし起きると、顔のむくみ。日焼けか、唇も変(乾燥と痛み)。手の甲や指に傷が目立ち、テーピン グで処理。徐々に痛々しく。これで職場に行けるかなと不安。2時に起床、2時半発。後で確認すると中島さんは、私のテントサイトの一つ上段で、 18:30着、2:05発だったとのことで、ニアミス。
<7時間半睡眠>

■7日目 8/20(月) 山は曇り 下界は曇り後大雨
7時間半も快眠できたので、調子良く進める。牛歩作戦で脚を温存しつつ。
0631 聖岳
聖平小屋でカップ麺2つ食べる
1050 茶臼小屋 「顔もむくんで 手足キズ テーピングだらけですが 7時間半も寝てしまったので今は元気です」 チャーハン大盛り(2食分)食べる (これ以降、行く先々で望月選手のポスターや特設コーナーが登場)
1230 横窪沢小屋 TJAR選手と応援者の書き込みボードがあり写真撮る。ご主人にお願いされTシャツにメッセージを残す。2年後に選手とし て出てねと言われるが、答えは濁す。
茶臼から畑薙の下り、下りの筋肉がかなり疲弊し、踏ん張りがきつく、危険な箇所も多かった。今回の挑戦、山で事故を起こすと、TJARの実行委員 会や大会存続に影響を及ぼすので、是が非でも安全に下山することが第一。よって畑薙大吊橋へ無事下山できてホッとした。後は比較的安全なロードと 安心する(そのロードの地獄性はまだ分からず)。
1533 畑薙第一ダム(残り85km)(以降、大浜海岸まで全てロード区間)
南アルプスでは山小屋休憩除くとCTの70%程度のスピードを出せたが、畑薙大吊橋から畑薙第一ダムまでのロードを頑張ってもCTの80%で、や ばいかもと思い始める。
1555 白樺荘手前の水場で脚をアイシング。アイシングすれば回復して走れるかと期待するが、結果、変わらず。。
18時までなら食事ができると思っていた白樺荘の食堂は15時までで、カップ麺1つと、いくつか軽食を購入。次の食糧調達は静岡市街のコンビニま でできない可能性がある。
500mごとに距離表示看板があるので、500mごとにラップを取って暇つぶし。500mが6分だと上出来、8分に落ちることも。選手の皆さんは 何を考え、何をしてここを進んでいるのか。
1950 井川オートキャンプ場(残り70km) 「走ってますが脚が動かなくてゴールは明日昼を目指します」
足先のむくみにより靴が狭くなり、それで足先がマメに。靴紐をゆるめる。これまでプロテクトJ1を5時間に一度塗り、足裏トラブルはほぼ無いが、 この1-2日で少し増えた感じ。ただし、足先のマメの痛みは、3分歩けば消える。
小雨だったり大雨だったり止んだりで、ウェアを着たり脱いだりが面倒。
昨夜7時間半も快眠したので、今夜は徹夜で大浜を目指すつもりだったが、歩くこともつらくなり、仮眠したくなる。井川ビジターセンターのバス停で 眠る。途中から土砂降りになるも、屋根の下で快眠し、このまま6-8時間眠りたかったが、何とか1時間半で起きて再行動。「ゴールは早くて昼、遅 いと晩」と妻にメール。
<1.5時間睡眠>

■8日目 8/21(火) 未明は一時雨 朝から快晴(静岡市の最高気温は32℃)
0039 井川駅(残り60km) 「苦戦中 どこまでも厳しい」
富士見峠への長い登りで再び眠くなる。峠手前で再び1時間半の仮眠。
<1.5時間睡眠>
妻より、井川キャンプ場をほぼ同じ時刻に通過した石田選手や片野選手が、翌朝10時やお昼頃にゴールしたと聞く。自分は無理そうです。
0537 富士見峠(残り48km) 「いつゴールできるのか?」
意味は違うかもだがドラゴンボールの「精神と時の部屋」を思う。時速4kmで85km歩くと何時間掛かるのか? これはどんな拷問かと。(2年前 の新藤選手、江口選手はどれだけ速いスピードでここを進んでいたか)
6時過ぎ 静岡の奥島さん(妻が取材で知り合い)登場。応援がてら写真を撮ってくださると。ありがとうございます。急な下りは走る。ただ走っても 500mで6-7分掛かるのは距離表示がおかしいのか?
Casso横沢(残り39.5km)は定休日だった。
9時過ぎ 横沢のトイレ(残り34.5km)で妻と子供が応援してくれる。「こんなクレイジーなコース、リピーターの気持ちがわからない」。奥島 さんより「このペースだとゴールは16時か17時」と言われる。
日焼けで痛んだ唇にプロテクトJ1を塗ると少しましになる。リップクリームがほしい。
これまで股間トラブルなく、股間にプロテクトJ1塗っていないが、この最終日、睾丸の皮が痛むようになる。
1225 玉機橋(残り23km) FBの応援メッセージで、夕日ゴールを目指そうと思う。
1425 最初のコンビニ(ファミマ)(残り16km) / 補給と足のケア コンビニで一番欲しかったのはリップクリーム!
1536 千代田消防署 しずはた出張所(残り13.5km) 奥島さんの計らいで、仕事中の望月さん、谷さんが外に出てきてくれる。感謝。このコースを5日間で走る望月選手、リ スペクト。
1648 アラジン(残り8.5km) 奥島さんの計らいで、店長ほか数名の方が外に出てきている。感謝。
静岡駅手前で、北野さんの友人(高校の同級生)の山崎さんが登場。厳密にはアウトだが、一緒に歩いて色々話をする。このときが一番ペースが速かっ たかも。
1745 静岡駅(残り5km) あと5kmが長い。夕日も間に合いそうにない。遅くなってごめんなさい。
大浜海岸の直前、妻、子供×2、奥島さんに加えて、望月さんの奥さん(千登勢さん)と娘さん、簗場さん(アラジントレラン部、冒頭の写真は簗場さ ん撮影)、私を見て駆け付けた通りすがりの人(本田さん)がゴールで出迎えてくれる。なんと、ありがとうございます。遅くなって申し訳ありませ ん。
1907 大浜海岸(静岡市)ゴール 手作りのゴールゲートまで。ありがとうございます。通りすがりの人(本田さん)によるシャンパンシャワーまで。ありがとうござ います。太平洋の水に指先タッチ。本当に長かった。記念写真。そして解散。これまで応援してくださった方々、見守ってくださった方々、本当にあり がとうございました。
その後、お風呂(歩くのが一苦労。立っているとぶっ倒れそう)、妻が運転してくれる車で眠り、朝6時に帰宅、髭をそり、足裏のマメを処理し、その まま仕事へ。エクストリーム出社。

10.装備
1)基本ウェア
・ユニクロ化繊白Tシャツ(雨に濡れても冷たくならない。夜間目立つ。問題なし)
・finetrackパワーメッシュノースリーブシャツ(雨天や寒いとき用。問題なし)
・NIKEインナー付き緑短パン(インナー付き。問題なし)
・finetrackパワーメッシュ・ブリーフパンツ(濡れて寝るとき用。ほぼ使わず)
・短いレッグカバー(靴でふくらはぎが出血するので。駒ヶ根で大きめのに交換)
・シモエテキスタイル五本指靴下(仙波さん推薦。前半で足裏に穴。駒ヶ根で交換)
・itoitex五本指靴下(予備用)
2)靴
・adidasアグラビックスピード25.5cm(仙波・新藤さん推薦。問題なし。駒ヶ根で同サイズに交換。7,8日目足がむくみ靴内で圧迫され マメ発生)
3)ザック
・サロモンSkinプロ15L(紺野さん参考。ロードで揺れるのできつく調整。樹脂が肩に当たって痛いのでマット材縫い付け。食糧を買い込むとパ ンパン。問題ないが荷物がより増えるとまずい)
4)手首足首を覆う服装
・ユニクロ紫アームカバー(防寒用。問題なし)
・finetrack長袖メリンスピノ(防寒用。問題なし)
・長いレッグカバー(防寒用。問題なし)
5)帽子&手袋
・レイドライト日よけ付き帽子(首周り日よけ脱着可能。問題なし)
・バフ(防寒用。問題なし)
・テムレス(問題ないが、昼間は暑く外すと岩場で指や甲が傷だらけ。別途指ぬき手袋がほしい)
・finetrackパワーメッシュ手袋(防寒用。問題なし)
6)レインウェア(上下)
・モンベル青トレントフライヤージャケット(新型バーサライトと迷ったが強度で選択。問題なし)
・モンベル新型バーサライトパンツ(軽量かつ可動域ストレスなし。問題なし。前半で膝に穴が開き縫った)
7)防寒具
・モンベルサーマラップダウンジャケット(問題なし)
・プチプチベスト×2着(自作。問題なし。6日目に山中で落としてしまった)
8)ライト
・Black Diamondスポット(点灯20時間。予備電池:単4×3本。途中電池買い足す。電池持ち良いがマックスで使うと消耗速く後半は省エネ。問題なし)
・ペツルティカRXP(予備用。マックス照明はスポットより明るい。点灯10時間。バッテリー多く持つ。問題ないが予備バッテリーが重い)
9)クライミングヘルメット
・ペツルシロッコ(ザックに付ける用マジックテープ加工。問題なし)
10)露営具
・信州トレマンストックシェルターPRO(問題ないがヘリテイジより狭い)
11)ポール
・Black Diamondウルトラディスタンスポール(ストックキャップ接着。軽量。問題なし)
12)シュラフカバー等
・SOL Escape Lite Bivvy(暖かくなるよう肩口の切れ目を縫う。問題ないがやはり寒い)
13)マット
・山と道マット(規定より少し小さく切った。問題ないがやや底冷えする)
14)地図
・山と高原地図(全区間で5枚。問題なし)
・下界地図(コンビニ・売店・自販機情報等。ほぼ問題なし)
15)日用品
・眼鏡(長時間コンタクトレンズを付けられないので基本眼鏡。問題なし)・眼鏡ケース
・コンタクトレンズ9日分(山での雨天時用。使ったのは2日?)
・カシオ腕時計(前半浸水?で液晶壊れ駒ヶ根で交換)
・お金8万円?(1000円札+小銭)・みずほ銀行クレジットカード(コンビニATM対応)
・歯ブラシ(問題なし)
・半分に切った手拭い(結露拭き・熱中症対策用。問題なし)
・反射テープ(車にひかれないよう。問題なし)
・防水用のビニル袋(基本荷物はビニル袋に入れザックに収納。問題ないが雨天時ツエルト内でビニル袋内も結局濡れたような)
16)ファーストエイドなど
・プロテクトJ1(足裏マメ予防。小分け容器。5時間に一度塗る。問題ないが7,8日目にマメ複数発生)
・日焼け止め(アネッサ パーフェクトUV アクアブースター10g。問題ないが唇日焼け対策でリップクリームが必要)
・テーピングテープ(傷の絆創膏代わり等大いに役立った)
・ポイズンリムーバー(使わず) ・絆創膏・キズパワーパッド(使わず) ・胃薬(新キャベ2。使わず) ・ビオフェルミン下痢止め・ビオフェル ミンS錠(使わず) ・皮膚用軟膏(使わず) ・安全ピン ・裁縫道具(カッパ下の穴を縫った) ・小型十徳ナイフ(はさみを使った) ・輪ゴム (使わず) ・紐(使わず) ・ダクトテープ少量(使わず) ・ダブルクリップ(使わず) ・結束バンド(使わず)
17)DoCoMoの携帯電話
・ガラケー携帯電話(ビニル袋防水。予備バッテリー多め。FB投稿。使用は少な目。問題なし)
18)コンパス
・オリエンテーリング用プレートコンパス(安いやつ。ほぼ使わず)
19)筆記用具
・ボールペン(使わず)
20)計画書
・行動計画書・装備確認表
21)山岳保険証
・jRO会員証コピー
22)健康保険証
・健康保険証
23)車免許等
・運転免許証
24)熊鈴
・超軽量の鈴(使わず)
25)赤色点滅燈
・ペツルイーライト(赤点滅70h。予備電池:CR2032×2個。上高地先のトンネルで使用)
26)水
・500mlペットボトル(+100円ショップのストロー付きキャップ)×2本
27)非常食
・スタート時はピッドインリキッド(ピーチ味)、カロリーバランスなど(道中は山小屋で買える豆菓子(おつまみ)が重宝した。カロリーバランスは 最後まで残る)
28)サプリメント
・サカナのちから、塩タブレット、マルチビタミン錠、フィッシュオイル(全て効果不明。フィッシュオイルは潰れて悪臭で失敗)

##
必要だったもの
・リップクリーム(後半日焼けで唇がやられた)

あったら良かったもの
・指ぬき手袋(日中の岩場用)

迷ったが持っていかなかったもの
・虫よけ:サラテクトリッチリッチ30(スプレーボトル入替)
・火器類一式:BRS-3000T、ガス缶(使いかけ)、コッヘル(プリムス)(300ml)、BICライター

11.感想
大きく思ったことは以下の3点。
1)このコース(とにかくスケールでかすぎ)を思いついて実行した岩瀬氏はクレージー(敬意をこめて)。
2)このコースを5日間前後で走る望月、紺野選手らは凄すぎ。
3)このコースを8日間で完走した選手もみんな凄すぎ。

このレース(TJAR)について自分は、試走の段階から「眠さを我慢する登山大会」「苦しいだけ」「楽しくない」と思っており、自分には向いてな いと思っている。今回挑戦して完走したのも、このコースの(8日間以内)完走という宿題か義務みたいなものを果たして、呪縛?から卒業したいとい う思いがあった(過去のTJAR完走選手と同じ目線を持ちたいという思いもあった)。次の2年間少なくない犠牲や調整を経て本戦に挑戦しても、ま た抽選外れとなる可能性もある。
自分の中では偉業とも何とも思っていない(偉大なのは先駆者である岩瀬氏。私はそれをトレースした数多くの1人に過ぎない)。レースプランが初日 から破綻したので、後は完走に向けて、ミスが無いように淡々と進めていくことになった。結果的には、直前2週間の病気と仕事の波を何とか縫って完 走を果たせた。そこは自分を褒めて良いかと思う。

12.謝辞
TJARを知って観て聴いて、刺激を受け、成長させてもらった。過去のTJAR選手、報告書、実行委員会、選考会、一緒に取り組んだ同志、先人た ちの会話や行動から多くを学ばせてもらった。特に準備段階から同じチーム(MH.TRC)メイトの仙波憲人氏に多くの助言を頂いた。
その他、全員の名前を挙げることができないが、準備段階、練習、情報交換、山行中のSNSメッセージ、現地応援などで、チームメイト、全国や地元 のトレラン仲間、オリエンテーリング仲間、TJAR関係の友人知人、さらに友人の友人、通りすがりの人まで、多くの方々にお世話になったり、応援 をいただいた。本当にありがとうございました。
そして何より感謝したいのは妻である。スタート準備もバタバタで、車の送迎をしてもらわないと間に合わなかったかも知れない。ゴール後も夜通し運 転してくれ、翌朝の仕事に行くことができた。準備段階からも良き理解者であった。子供を含めて家族の応援に感謝したい。

13.追記1:計画と実際の差
「6日間と1時間」で行動計画を立てたが、実際は「7日間と19時間」で、そのタイム比は125%。1日に進んだCT(コースタイム)の比較につ いて、2016望月、2012木村正文、2014田中正人、2018垣内・高島・高田各選手のデータと合わせて下図に示す。


1日に進んだCT(コースタイム)比較

14.追記2:ダメージと回復
過去に経験したことのない大きなダメージを受け、回復に約4ヶ月を要した。主な内容を以下に示す。
1)右アキレス腱の痛み
山行4日目から右アキレス腱の痛み。山行中、ゴール後、痛みは継続。ゴール5日後に自転車、14日後にウォーキング、16日後にジョグ、22日後 にランを実行。2016年試走時も右アキレス腱が痛み、ウィークポイント。
2)足裏
山行終盤で足裏(指含む)に複数のマメ。ゴール後、5週間ほど足裏全体の脱皮が続く(おぞましい有様で皮がむける)。足の指先のしびれが6週間ほ ど続いた。
3)むくみ
2017年試走時よりはむくみは少なかった印象。山行中盤に太ももがむくみ出すが、終盤はふくらはぎがむくむ。ゴール後はより足先へむくみが移 行。左足のむくみが先に解消。
4)ゴール後の足首の痛み
行動中に痛みは無かったが、ゴール直後から両足首にジンジン・ビリビリと疼く強い痛み。特に体重を乗せると痛みが大きく、体液の関係か。ゴール後 14時間で仕事復帰したが、歩いたり立つだけで激痛。座ったり寝たりした場合は痛まない。ゴール5日後に左足首の痛みはだいぶ治まる。1週間ほど で右足首の痛みも軽減。
5)全体的な疲労
全体的な疲労は恐らく4ヶ月ほど抜けなかった。安静時心拍数は通常時40-50台に対し、ゴール7日後で84bpm、12日後で54bpm。 ゴール4週間後に信越五岳ペーサー58km、 7週間後にハセツネ71kmを走った。特にハセツネはベストなパフォーマンスと言えなかった。原因は、疲労というより、必要なトレーニングが故障・疲労に より積めなかったことだと考える。「走りたい」という欲求が生じたのは12月になってから。


2018年8月23日(10.13.14.追記 2019年4月7日) 円井基史

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