Trans Japan Alps Race 2004 参戦記(2004 年8月7日〜13日)

田中 正人


アドベンチャーレーサー
Team EAST WIND 代表

1993年 日本山岳耐久レース 優勝(9時間07分)
1994年 オリエンテーリング ワールドカップ 日本代表
1995年 サハラマラソン 10位(日本人過去最高順位)
1997年 レイド・ゴロワーズ11位(日本人過去最高順位)
2001年 エコ・チャレンジ 11位(日本人過去最高順位)





とにかくすごいレースだった。只々その一言に尽きる。

すべて自分の判断と責任で行動し、体の限界を見極めながら自分自身をコントロールする必要があった。

まず、事前準備の大切さを痛感させられた。

荷物重量については、私は水、食料を含めて8〜10kgの荷物を背負ったが、まだまだ軽量化が可能だ。

特に南アルプスではどの山小屋でどんな食事、食料が得られるのかほとんど分からなかったので、食料を多く持ちすぎた。1kg減らせれば、かなりパフォーマ ンスが向上する。

そして、モチベーション維持とペース管理には、コースデータがとても重要であることを学んだ。細かい区間の目標タイムや距離が分かっていれば、一つ一つの 小さな目標をクリアしていくことでモチベーション維持とペース管理をすることができた。今回は山岳区間はそれができたが、ロード区間はいい加減な地図しか 用意せず精神的に辛くなる苦労をした。

そして何よりもすごいことは、未知の体験への挑戦ということである。

山地図の標準コースタイムの約半分のペースで1日20時間以上行動し続け、「いつまでもつのか」という不安と好奇心が入り混じった心境が続いた。しかし南 アルプスに入った頃に体力的な限界が訪れた。エネルギー切れというか食べた分だけしか動けないようになり、とうとう熊ノ平小屋で疲労困憊状態になった。体 に蓄えられたエネルギー分が完全に枯渇したのが手に取る様に分かった。そして、記録狙いから完走狙いに切り換える決断をした。

山小屋では必ずカレーやカップ麺などをたらふく食べ、ペースを落とすことで再び行動できるようになったが、終盤になって訪れたのが体の故障である。まず右 足のアキレス腱が痛み出した。これはテーピングで足首を固定することで痛みが大幅に軽減したが、右足をかばっていたため、次に左足の大腿四頭筋が痛み出し た。茶臼岳からの下りで痛みが激しくなりストックで体を支えビッコを引きながらどうにか畑薙ダムまで下った。平地になると大腿四頭筋はあまり痛まなくなっ たが、軽く走ろうとすると腰骨の下がピキッと激痛が走るようになった。体がどんどん壊れていく・・・体の悲鳴が聞こえてくるようだった。民家で氷をもらい アイシングをしたあと、痛む部分をテーピングで押さえた。また動けるようになる。ポンコツ車を運転しているように騙し騙し走る。いつ他の部分が壊れるか分 からない状態だ。

最後のロードは、真に精神力が試される区間だった。道端の距離表示で自分の速度を計算しゴールタイムを推定する。しかし、速度は微妙に落ち込んでいく。推 定ゴール時間がどんどん延びていく。走れば走るほどゴールが遠ざかっていくように感じた。これは本当に辛かった。静岡市街に近づく頃には普通に歩くのが精 一杯の状態になった。

大浜海岸にゴールしたときには、本当に日本を横断したのか実感が沸かなかった。しかし、応援に駆けつけてくれた人たちがいたことはとても嬉しかった。 「やっと終わった」その事実だけが自分を安堵の気持ちにさせてくれた。




CP【通過日時】

▼CP0 早月川河口(ミラージュランド)【 8/7 0:00】
 岩瀬さんを先頭に走り始めて、結構速いことに驚く。

▼CP1 馬場島【 8/7  3:33】
 まだみんなかたまっている。ここからダブルストックで登る。

▼CP2 剣岳【 8/7  8:14】
 飯島さんと山頂で写真撮影。「カニの横ばい」では集団の合間を縫ってロスなく通過。剣山荘からルートが分かりづらく多少ロスする。

▼CP3 立山(大汝山)【 8/7  11:16】
 ガスが晴れてきて暑くなる。人が増えてくる。

▼CP4 五色ケ原【 8/7  13:34】
 またガスってきて涼しくてよい。スゴ乗越小屋でカップ麺3個一気喰いする。

▼CP5 薬師岳【 8/7  18:17】
 日はまだ高く感じられ元気に進む。

▼CP6 太郎平小屋【 8/7  19:12】
 小屋を出てすぐに暗くなる。北ノ俣岳で2時間ビバークするが寒くて熟睡できない。

▼CP7 黒部五郎小舎【 8/8  2:08】
 水だけで戻しておいたアルファ米を食べる。

▼CP8 双六小屋【 8/8  4:41】
 パン、ナッツを食べる。

▼CP9 槍ヶ岳山荘【 8/8  7:27】
 ちょっと眠い。日なたでゴロっとするが10分の休憩で出発。

▼CP10 上高地(河童橋)【 8/8  11:28】
 靴を脱いでツェルトとともに干してから食堂で肉うどんとそぼろ丼を食べる。シャツ、タイツなどを水洗いして1時間半停滞して出発。釜トンネルはそれなり に緊張した。

▼CP11 奈川渡ダム【 8/8  16:56】
 沢渡で激しい夕立に遭い、1時間停滞する。この間少し寝れた。

▼CP12 境峠【 8/8  20:28】
 峠からの下りは飛ばすが、途中足の痛みのため処置をする傍ら、路肩で1時間強寝る。

▼CP13 薮原駅【 8/9  0:54】
 自販機を利用しながら行く。

▼CP14 木曽駒高原スキー場【 8/9  4:44】
 1時間半寝る。足のマメの処置を行なってから出発。

▼CP15 木曽駒ケ岳【 8/9  11:12】
 思ったより人がいる。ちょっとバテ気味。宝剣山荘でカレー食べる。

▼CP16 空木岳【 8/9  16:31】
 駒ヶ根高原までの下りが長かった。

▼CP17駒ヶ根高原(菅野台)【 8/9  19:30】
 どこが菅野台なのか良く分からない。市街に出てホカ弁を食べ、ダイエーで南アルプス用買い出し。とにかくたらふく食べた。

▼CP18 市野瀬【 8/10  2:07】
 ここまで眠くて長くて辛いロードだった。2時間半ほど寝る。初めて熟睡できたような感じ。

▼CP19 仙丈岳【 8/10 12:23】
 ここまでの登りのペースは遅かった。体に力が入らずバテ気味。荷も重い。

▼CP20 塩見岳【 8/11  4:21】
 熊ノ平小屋で疲労困憊し、ツェルトで5時間寝る。

▼CP21 三伏峠【 8/11  6:39】
 カップ麺3個とフルーツ缶1個を買って食べる。とにかく食べた分しか動けない状態が続いている。

▼CP22 荒川岳(前岳)【 8/11 12:33】
 食べることを意識して若干回復気味。しかし、この辺りから右足 アキレス腱に痛みが出だす。

▼CP23 赤石岳【 8/11 15:13】
 荒川小屋でカレーライス超大盛りにフルーツ缶食べる。右アキレス腱が気になるので押さえ気味に行く。

▼CP24 聖岳【 8/11 20:08】
 聖岳の手前でアキレス腱の痛みがひどくなる。テーピングで足首を固定する処置をとる。

▼CP25 茶臼小屋【 8/12  3:02】
 聖平小屋近くの森の中で2時間ビバーク。鹿がピーピーうるさい。

▼CP26 畑薙第一ダム【 8/12  8:21】
 昨日から気になっていた左脚の大腿四頭筋の痛みがひどくなり、横窪峠からまともに歩けなくなる。ストックをついてビッコ状態で大吊橋まで下る。平地にな ると大腿四頭筋は痛まなくなるが、走ろうとすると左腰骨下の部分がピキッと痛むようになる。

▼CP27 井川駅【 8/12 14:16】
 井川集落のある民宿で大きな氷をもらい20分間大腿四頭筋を冷やす。さらに大腿四頭筋と腰脇をテーピングで押さえる。

▼CP28 笠張峠【 8/12 17:38】
 ここまでの登りは想定したよりも時間がかからなかった。下りで少しは走れるかと思ったが殆んど走れず、時速5kmの早歩きが最高速度になる。

▼CP29 静岡駅【 8/13  0:51】
 脚筋力の限界に達した状態で歩き続ける。時々3km/hくらいまで落ち込んだように思う。

▼CP30 大浜海岸【 8/13  2:00】
 長かった・・・ただそれだけ。本当に日本横断したのか、実感が沸かない。出迎えてくれた人たちの気持ちが嬉しい。ただただ感謝。海水に触って、すぐに靴 を脱ぐ。海岸の土手にマットのみで寝転がる。山のように冷たい風に震えることもない暖かい風だ。もう気を張って闘わなくて良いのだ。安堵に浸りながら眠り についた。


inserted by FC2 system