2006 日本山岳耐久レース 〜初めてのハセツネ〜 

相馬 剛



略歴
20-26歳 トライアスロン(オリンピックディスタンス)
(関東選手権3位など)
26-32歳 フリークライミング
 (ロープクライミング:最高グレード14A、
ボルダリング:最高グレードV10)
33歳-(2006年4月より) トレイルラン
(初レース:2006年日本山岳耐久レース8位(8:48))
1974年1月生まれ 33歳
 小笠原諸島父島在住(2006年4月より)
海上保安庁勤務




                           
あのレースから4ヶ月が過ぎた。強烈な記憶として私の心と体に刻み込まれており、今なお、レース中の思考や体調、景色をはっきりと思い出すことができる。 だからなのか、今まで文章として記録を残すことの必要性を感じていなかった。しかし、この4ヶ月間、次のハセツネに向けてトレーニングを続けてきた中で、 どういうわけか今頃になって、やっと去年のハセツネを自分の中で「消化できたな」という感覚が心の奥底から沸々(ふつふつ)とわき上がってきた。これは、 私自身が成長した証しなのだろうか・・・。



はじまり

ハセツネというレースを初めて知ったのはいつだったろう。2006年に入ってすぐ、2月か3月くらいだったと思う。ちょうどその頃、5年ほどメインで続け てきたフリークライミングに対して、以前ほど向上心が持てなくなり、完全にライフワークの一部となっていた。私は過去に、20歳台前半に取り組んでいたト ライアスロンでも同じ感覚を味わっていた。ライフワークの一部になるということは、明確な目標がある場合には、まさに「継続は力なり」だが、刺激的な目標 がない場合には、単なる惰性の習慣になってしまう。健康やダイエットのためなら、それでもいいと思うが、私は、まだ競技者でありたかったし、何かに向かっ て現在進行形でもいたかった。

トライアスロンもフリークライミングも環境変化の影響が大きかった。これは多くの人間が経験していることだろう。勤務体制の変化で泳ぐことができなくなっ たり、子供ができたことで岩場に行くことができなくなったりした。そんな状況に、自分自身の競技力の停滞感も加わって徐々に、その競技に対し集中して取り 組むことができなくなっていった。

ただ、その間も変わらず続けていたものがあった。それは「走る」ことだ。なぜ、続けることができたのか?その答えは簡単、もっともシンプルな運動だから だ。場所を選ばず、トレーニング時間に無駄がなく、パートナーや道具もいらない。これならば、大抵の環境でも続けることができるだろう。1日1時間あれば 15q走ることができる。1ヶ月で450q。アマチュアなら十分なトレーニング量だ。

「走る」ことに集中してみようと思った。それまで、それこそライフワークとして続けてきたラントレーニングを自分の中心に据えることに決めた。まず手始め として、ある程度のトレーニングを積んで、ローカル大会のハーフマラソンを2月に走ってみた。結果は1時間13分。後半がっくりペースが落ち、思うような スピードで走ることはできなかったが、久しぶりに、スタートの緊張感やゴール後の充足感を感じることができ素直に嬉しかった。

自身の新たな方向性を見つけた私は、さらに集中してトレーニングを続けた。その頃のトレーニングは、静岡県の清水に住んでいたこともあり日本平という山を 走っていた。そのため、次に出場するレースもアップダウンの激しいコースがいいなと思っていた。そんな大会をネットで検索しているうちに、山岳レース、ト レイルランニングの世界を見つけた。もともと登山が好きだった私が、その世界へ急速に入り込んでいくことになるのは至極当然だった。

時を同じくして、私生活でも、私の決断を後押しするような大きな変化があった。4月に東京から南に1000q、正真正銘の孤島、小笠原諸島の父島に転勤に なり、岩場やクライミングジムがない小笠原では、物理的にもクライミングを続けることは不可能になった。これで心おきなくトレイルランニング一本に絞るこ とができるようになったわけだが、アクセスの悪さや休暇の関係で出場できるレースは年1レース。その1回のレースに全てを賭けるしかない。それに相応しい レースは、日本山岳耐久レース、ハセツネしかないと思った。幸い、小笠原のトレーニング環境は良く、ハセツネまでの5ヶ月間、集中してトレーニングができ そうだった。



スタートライン

そしてレース本番の10月、最良とまではいかないまでも、トレーニング、ギアなど良い準備ができ、レースに十分対応できる感覚を得ていた。目標というか、 予想される結果というか、イメージとして9時間10位という数字が頭の中にあった。ハセツネはもちろん、本格的な山岳レース自体、走るのは初めてだった が、ネットではありとあらゆる情報が手に入った。コース、ギアのノウハウ、トレーニング量と過去の記録などなど・・・これらの情報を分析すると自分の結果 が走る前から分かってしまう。それが良いか悪いかは別にして、便利な時代になったものだ。その分、未知なるロマンは薄れるわけだが・・・。

それでも、コースの試走を一度もしていない不安もあったことから、5日前に現地に入り、レース後半の夜間走となる三頭山からゴールまでの区間を走ってみ た。さすがに南の島「小笠原」と比べると、とても涼しく、トレイル自体も走りやすいと感じ、かなりの疲労を残したもののレース本番への手応えをつかむこと ができた。

そしてレース当日、直前の試走の疲れなのか、前日まで雨中のキャンプをしたためなのか、身体が重く、少々熱っぽい。ただ、トライアスロンで多くのレースに 出場してきた経験から、走る前は調子が悪いと感じるくらいのほうが実際の走りは良かったりするので、そういう意味では心身共に状態は万全だったと思う。

晴天の下、スタートラインに立つ。気分が高揚して少し涙が流れそうになる。こんなに気持ちが揺さぶられるのはいつ以来だろう?一人目の子供が生まれた時以 来だろうか?



レース

号砲が響き、「やるしかない」という気持ちで走り始めた。

スタート直後、数qほどロード区間がある。マラソンなどのレースに比べるとペースはかなり遅い。トレイル70q以上の長丁場、しかも荷物も背負っているか らペースが遅いのは当然で、トップ集団にいても雰囲気は和やかだ。それでも有力選手の走りからは、序盤はできる限り体力を温存しようとしている思惑が見て とれたし、お互いの様子を窺っているようにも見えた。

トレイルに入りレースは本格的に動き出す。レース前半は、小刻みにアップダウンを繰り返しながらコース中の最高地点であり、また中間地点でもある三頭山ま で登っていく。この部分は試走できなかったのでレース本番で初めて走ることになったのだが、予想以上に辛い。もう少しなだらかな尾根道をイメージしていた ので、このアップダウンには面食らった。トップ集団10名程度の中で走っていたが、私自身には、ほとんど余裕がなく集団の流れについていくのがやっとだっ た。1CPの浅間峠手前では、とうとうトップ集団から遅れ、2時間40分10位前後で1CP通過。後日、記録を見てみると、トップ通過の韓国の選手から は、この時点で15分も遅れており、次回のレースでは、この前半部分のタイムアップは必須となるだろう。少なくても余裕を持って2時間30分くらいで通過 しなければ勝負にならない。

1CPを通過後、一度、急激にペースが落ちた。最初のデットポイント。数人に抜かれるも、前にいた選手も脱落してきた。トップ集団の中で自分だけが辛いの かと感じ少し弱気になっていたが、他の選手も辛いという当然のことを理解し、気持ち的に楽になった。その後、中盤の文字通り山場と思っていた三頭山の登り も、他の選手と併走していたこともあり、気分良く進み、予定通りライトを点灯する前に頂上へ達することができた。

残り半分、下り基調、試走済み・・・頭の中には良いイメージが浮かび、レースを心から楽しいと感じていた。ライトを点灯し、見覚えのあるコースを下り始め るが、試走の時と比べると思いのほか脚が重い。試走の時には気にならなかったちょっとした登りも、40q近く走ってきた身体には堪えた。ただ、気持ちの面 では、まだまだ充実しており、日が沈み、闇が覆ってくればくるほど、集中力が増してくるように感じた。視界が狭まったおかげで余計な情報がカットされ、そ の分、他の感覚が研ぎ澄まされてきたような感覚。本来、誰もが持っている人間の野生。

2CP月夜見駐車場に到着。5時間21分、1CP〜2CPのラップは2時間42分。この区間でも、その他のトップ選手に比べると大きな差があった。あと 15分は短縮したい。1.5リットルの水を補給して、「OK!」と自ら気合いを入れてすぐに出発。脚の張りを感じたが、感覚としては最後まで十分持ち堪え てくれそうだった。

2CPから御前山までは、試走の時から一番のポイント区間になると感じていた。というのも、山頂まで登りが続くものの、いわゆる激坂(げきさか)とは違い 走ろうと思えば走ることができるくらいの坂が多い。しかも距離が長い。この区間を「歩く」のと「走る」のでは、おそらく20分くらいの差がでると思う。し かし、そうは思いながらも現実は厳しく、全ての登りを歩いてしまう。

御前山、大ダワ、大岳山、このあたりの区間は気持ちが完全に負けていた。私は、その時点で7位を走っており、トップ10を目標にしていた私はその順位に満 足してしまい、体力的な辛さも重なり、さらに上を目指す気力が全くなかった。身体は前を向いて走っているのに、気持ちは後ろを向いていた、そんな感じだっ た。前の選手より後ろの選手のほうが気になって仕方なかった。そんな気持ちをレースの神様は見逃してはくれない。案の定、大岳山の下りで一人の選手にあっ さり抜かれる。

そんな弱気な気持ちが、再び走り進む方向と同じ方向を向いたのは、3CP手前の水場付近からだった。脱水症状気味の身体に潤いが戻り、さらに3CPの長尾 平を7時間38分で通過できたことにより、初出場で8時間台という新たなモチベーションを得て、身体にも力が湧いてきた。

そこからは、再びレースを心から楽しむ自分がいた。長かったレースも残りわずか。早くこのレースから開放されたいという気持ちと、もうすぐ終わってしまう という惜しく悲しい気持ちの、相反する二つの気持ちに私は翻弄され、スタートの時と同じように思わず涙が流れそうになる。

ゆるやかな下りが続く金比羅尾根を、集中して冴えた気分でひた走る。このペースでいけば8時間台は確実だ。ちなみに3CP〜ゴールまでのラップは1時間 10分。これはトップ10クラスの選手達と同等のタイムである。たが、この区間の最速ラップは1時間1分。体力よりも気力が、タイムに大きく影響する区間 であり、いかに気持ちを前に持っていくかが大切だ。

トレイルを抜けアスファルト道に変わった。ゴールは本当にもうすぐだ。筋肉は疲労しているが、故障しているような痛みはなく、70q以上トレイルを走って きたにもかかわらず、心身共に私はとても元気だった。この時ばかりは自分自身の能力が少し誇らしく思えた。

そして、ついにゴールへ。「8時間48分59秒 8位」。

目標を上回る結果だったこともあり、ゴール後の達成感はものすごかった。心地よい疲れと、高揚した気分に浸りながら、その時間を他の選手達と共有した。こ れはやめられないなと思った。大げさかもしれないが、人生を賭けるくらいの覚悟も十分に受け止めてくれるだけの、奥の深さがこのレースにはあると思う。結 局、その夜は極度の疲労にもかかわらず、興奮のために一睡もできなかった。



その先へ

レースの一週間後、小笠原でのスローな生活に戻り、筋肉や内臓の疲れも抜けてきた。この一週間、私の頭の中はハセツネで一杯だった。それは、今回のレース を思い出すのではなく、次回のレースに向け、いろいろなことに思いを巡らせていた。今回の優勝タイムが7時間52分。今後、優勝するには絶対条件として7 時間台のタイムが必要だ。その条件を満たすには相当なハードトレーニングを要するだろう。しかし、私には、このタイムが十分イメージできるし、実際に実現 可能なものであるとも思っている。改めて、トレーニングも含め、初めてのハセツネを考えてみると、多くの改善点があることに気づく。ノウハウ的なものだけ でも10分以上のタイムアップが可能だろう。そして、最も肝心なことは、私の走力が全く足りなかったということだ。これはトレイルでのテクニック云々(う んぬん)というものではなく、単純に足が遅かったということだ。

レース前半、有力選手と併走して、その走りを間近に見ることができた。これは、レース経験もなく、一人でトレーニングしている私にとって、かなり重要な意 味を持つ経験だったのだが、率直な感想として、想像していたよりも自分の走りと差はないなと思った。これには、若干の嬉しさを感じた反面、それ以上に、も し、陸上実業団クラスの走力があれば爆発的にタイムを短縮できるという確信と、その実力が今の自分にはないというもどかしさを同時に感じていた。

改めて「トレイルでの速さ」について考えてみた。その中で強く感じたのは、意外にもロードでの走り。私の中では、寸分の誤差もなく「ロード」=(イコー ル)「トレイル」。これは、ハセツネのゴール後、すぐに感じたほど明確なものであった。アドベンチャー系の雑誌では、トレイルランの特集が盛んに組まれ、 細々(こまごま)としたテクニックに関する情報は溢れているが、絶対的な走力が必要であることは、ほとんどアナウンスされない。この競技を普及させるため には、ストイックでハードなイメージは邪魔なのかもしれないが、真実は、いつだって厳しく単純なものだ。ロードを走れない人間は、トレイルでも走れない。

さらに言えば、近年、多くの陸上長距離選手が普段からトレイルでのトレーニングを取り入れており、仮に、実業団クラスのそのような選手が、本気でハセツネ に臨んだなら、現在の山岳ランナーやトレイルランナーは残念ながら勝てないのではないか?ある人間はこう言うかもしれない・・・「山はそんなに甘くない ぞ」。そのとおり、厳しいからこそ、これが現実だ。実際、フルマラソン2時間20分レベルの走力があれば、短期間で山の走りに適応するのは、そう難しくな いはずだ。あえて誤解を恐れずに言ってしまえば「慣れ」程度の問題だと思う。場所は違っても「走る」ことには変わりないのだから。

山岳レースやトレイルランは、マイナースポーツであるし、その歴史も浅いために、幸か不幸か、今までマラソントップ選手のような究極の「走り」に曝(さ ら)されることはなかった。今後、この競技がもっとメジャーになれば遅かれ早かれ、そうした究極の「走り」を持つ人間が、山岳系のレースに参加しはじめる だろう。その時、それまでの常識が覆されるような記録が生まれるはずだ。ハセツネ6時間台は決して夢物語ではない。

これからは(本当は昔から・・・)、ロードでしっかり走ることのできる人間が、山岳レースやトレイルランレースでも勝ち上がっていくのは間違いないだろ う。確かに、ロードトレーニングだけでは、長時間、足場の悪いトレイルを走り続けるタフさは身に付かないかもしれない。それでも、なお私は強く思う。「洗 練された走り」が欲しいと・・・。
具体的には、フルマラソンの持ちタイムを上げていくことが最も重要だと思う。その土台の上に、トレイルの走りを積み上げていく、これが遠回りのようで、実 は一番の近道であると感じる。近い将来、必ず到来するであろう「真のスピード時代」に備えるためには、この競技の核心である「走る」ことに対し、もっとシ リアスにならなければならない。

「効率の良いトレーニング」なんか本当はない。強(し)いて普遍的な原理をいえば、誰よりも厳しいトレーニングを、誰よりも長時間続けた人間が一番強いと いうだけだ。ただ、私も含め多くの人間は、気力、体力、時間などの限界により、それを実現できないでいる。それ故に、世の中には、たくさんの「効・率・ の・良・い」トレーニングが存在するわけだが、そういった情報に、過度に振り回されてはいけないと思う。もっと自分の感覚を優先し信じるべきだ。

理屈を超えた強さを身に付けたければ、理屈を超えたトレーニングをするしかない。 


(2007.2.20 記)


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