宮川強化委員長の長い話 (ロングインタビュー)

「 ナショナルチーム強化のこれまでと今後  〜 主にフィジカルの取り組みについて 」




宮 川 達哉

1990年〜2005年 SQUAD JAPAN 代表
2005年〜 JOA(日本オリエンテーリング協会)強化委員長

(インタビュー・編集 円井基史) (インタビュー:2006年10月24日)




2005年愛知での世界選手権で、日本チームは、個人戦において、男子選手の最高順位で39位、女子最高で27位、リレーにお いては、男子17位(27チーム中)、女子11位(23チーム中)の成績を収めた。

2001年に日本開催が決定してからの4年間、日本チームは「2005年の日本開催の世界選手権で個人戦20位、リレー6位入賞」を目標に掲げ、強化にあ たった。その中で中心となり、精力的に活動を行ったのが、JOA強化委員長の宮川達哉氏であった。

今回はその宮川氏をゲストに迎え、その活動の全貌と、そこで得られた知見を探ろうと試みた。ここではまず、フィジカル的側面の話を中心に紹介する。

かなり長い話であるが、ところどころに強くなるヒントのエッセンスが書かれてあるし、何より、組織として強化にあたる視点は参考になるだろう。(編集者 記)





■まず、宮川さんの簡単な略歴、経歴を教えてください。

オリエンテーリングを始めたのは、小学3年生のときだった。新しいもの好きの叔父に誘われたのがきっかけ。オリエンテーリングが日本にやってきてから3年 後くらい。つまり、日本オリエンテーリングの歴史と私のオリエンテーリング歴は、ニアリーイコール(ほぼ同じ)である。

村越真は私より2歳年上で、私より2年ほど後にオリエンテーリングを始めたはず。同時期に同世代でオリエンテーリングを始めた仲間としては、今のみちの会 の石井隆や吉田勉がいた。彼らと切磋琢磨して、強くなった。

私が22、23歳の頃、若手選手の有志でスコード(SQUAD JAPAN)が作られた。スコードから選手を派遣して、世界選手権を戦おうというものだった。28歳のとき、スコード代表となった。そしてスコードは、 2005年3月に、JOA(日本オリエンテーリング協会)内組織の、強化委員会として生まれ変わった。

私自身は、中学からオリエンテーリング部に入った。大学(早稲田)ではロードレーサーを手に入れ、自転車のクラブに入って練習したりもした。大学卒業後に は水泳も始め、トライアスロンにも取り組んだ。また、大の陸上ファンでもある。(陸上の)日本選手権なども見に行ったりしている。




■宮川さんはSQUAD JAPAN、JOA強化委員会のリーダーを務め、また、この数年間、ナショナルチーム強化のために、対外的にも精力的な取り組みをなされてきたように思い ます。それらに取り組むきっかけは何だったのでしょうか? 何がモチベーションとなりましたか?

この数年間のモチベーションはもちろん、自国開催の2005年世界選手権。

2005年に至る3年間ほどの取り組みのきっかけとなったのは、当時のJOA会長の小野清子さんの発言だった。2001年、秋田のワールドゲームズの観戦 に来ていた小野会長の
「オリエンテーリングのトップ選手はキロ6分程度で走るスポーツ。そのスピードは競歩より遅い。強豪大学陸上部の2軍選手は、キロ3分で走ることができ る。彼らを連れてきて、ナビゲーションを教えるのはどうか。2005年の愛知での世界選手権でメダルを取るために、そういう取り組みも必要ではないか。」
という発言が端を発する。

私は少々ムッとしたが、これをチャンスとばかりに考えた。小野会長の発案とも言える一連の活動(外部から選手をリクルートする活動)を、JOAから依頼さ れた形で引き受けるに及んだのだ。

そういう経緯もあり「陸上関係者へのリクルート」に取り組んだ。自身が大の陸上ファンだったこともある。

多くの陸上経験者にアプローチをした。そのため利用したコネクションは、小野清子前会長から紹介のあった有吉正博日本陸連普及副委員長(クロスカントリー 普及担当)と田嶋三子男先生(元自衛隊体育学校陸上部監督)。有吉先生と田嶋先生は3年間強化委員(当時は選手強化特別委員)を務めてもらった。現役陸上 選手については、3名の男子選手、1名の女子選手がNT合宿に参加してもらった。しかし残念ながら目立った成果は得られなかった。その他にも、自衛隊体育 学校などで講演会などをしたので、話だけ聞いた人は結構いる。





■そのような陸上界への積極的なアプローチをされた中で、学んだことを 教えてください。また、今やトレイルランで日本の第一人者となった鏑木選手とも接点があったと聞いています。印象に残ったエピソードやコメントがあればご 紹介ください。

少し技術的なコメントは鏑木さん(鏑木毅選手=富士登山競走、日本山岳耐久レースなどトレイルランレースで優勝多数)からあった。

陸上競技、特にトラックやロードで使う走りとトレイルランで使う走りは根本的に違うとのこと。彼は陸上マン(元々早稲田大学で箱根を目指した選手)であ り、トレイルランナーなので、その筋肉構造の違いについて、よく知っていて、要は、300メートルで10メートル登るのを激アップと称する陸上の世界で は、山道を歩いて上るため筋肉はついていないということだ。その筋肉をつけることは、陸上マンにとって、無駄というだけではなく、一流の陸上マンとしての 「引退」を意味するものだと言うのだ。つまり、一度、トレイルランナーとして足の筋肉の構造を変えてしまえば、陸上の世界には簡単に戻れない、だから、 WOC日本開催のために、陸上界から選手を借りてくるとか、陸上マンにトレイルランの世界で道草食ってみたら、なんていう「安易な勧誘」はすべきでないと のコメントをもらった。つまり、陸上マンにトレイルランをやらせることは、陸上競技から足を洗うことを前提にすすめるべきとのことだった。実際彼も、陸上 から、トレイルランに転向するのに足の筋肉構造を変えるだけで3年かかったと言っていた。これは、結構ショックで、この話で、私は相当ひるんだ。

実際鏑木さんはNT合宿で1泊2日の間、富士丸火の溶岩地帯でオリエンテーリングをやったのだが、エリートが80分で走る、本格的ロングコースの約半分 40分を村越さんの後をついて走り、さすがにぴったりとついて走れたのはすごいと思った。トレイルはもちろん、Aの林を追走するのは彼ならではで、他の陸 上マンがトレイルから森に入っただけでビビるのとは違った。結局彼は、フィジカルには問題ないが、ナビゲーションをマスターするのは3年では無理、との言 葉を残して去っていった。

さらに鏑木さんについてのエピソードを少し。

私と二人でコントロールを回っているとき、Cヤブを切る場面があり、コンパス直進で藪に入り、私が通り抜けて涼しい顔で待っていると、いきなり私に 5000Mのベストタイムを尋ねてきたことがあった。これでも20分そこそこで走るのですよと言ったら、少しがっかりしていたようだった。彼は、村越さん や善徳との併走では厳しい場面もあったが、私との併走では終始余裕だった。しかし、このCヤブと富士独特の溶岩地帯や深い枯れ川を横切る下り登りでは、私 が待っている場面があり、ショックを受けていた様子だった。

オリエンテーリングの面白さは、足の遅い選手でも、ナビゲーションが良ければ逆転できるところだが、足の速い人を勧誘するには相当気をつけなければ行けな い。丸火なんて連れていかないで、七国峠あたりにしておけばと思ったりもした。

他にも、田嶋先生からは、中長距離の走り方、筋力がオリエンテーリングに生かせるのでは、というアドバイスをもらい、有吉先生からは、アンチドーピング、 サプリメントの指導の大切さを教わった。鏑木選手はまさに勝負師だと感じた。




■陸上選手とオリエンテーリング選手とでは、何か違いは感じましたで しょうか(特にトップ選手において)。気質と言うか、考え方、性格などにおいて。

陸上マンとオリエンティアは、筋肉の構造(これはけっこう科学的)も精神構造もみんな違うということを感じた。そういうことを前提に活動しないといけな い。

毎年箱根駅伝の正選手は10区間20校で200人いる。補欠や予選落ち校を含めると、毎年4〜500人の選手が、キロ3分で20キロ走れる人材が卒業して いく。実業団に所属できるのはその内わずか。もったいないことだ。その千分の一でもオリエンテーリングを始めてくれたら良いと、毎年正月に思っている。た だ、けっこう難しいもので、厳しいセレクションをくぐり抜け、大学を終えると燃え尽きてしまう。とても走るなんて続けられないらしい。

共通点としては、どの競技のトップ選手も、みな、ストイックということ。またトップ選手は結局、みんな「賢い」。




■なぜ彼ら(陸上選手)が本気でオリエンテーリングに取り組まなかった (取り組めない)のか、僕の想像では、22歳や25歳(あるいは30歳)といった選手は、すでにある種目で第一線に近いところに行っており、そこからオリ エンテーリングを始めると、少なくとも2-3年は、日の当たらない場所でいつ芽が出るとも分からない努力を続けなければならない。そんな環境には耐えられ ないのでは、と思っています。だから個人的には、高校生くらいの若者のリクルートが有効では、と考えています。大学クラブという受け皿があり、インカレと いう目標があります。

陸上界からのリクルートの成功例は、あなたも言っている通り、高校生からのリクルートである。紺野くんのように高校の陸上部や山岳部から大学のオリエン テーリングクラブにリクルートする。羽鳥くんも書いているように、そのスポーツを追求し続けるためには、身近な目標設定や動機付けが必要だと思う。大学ク ラブが楽しく、インカレが良き目標となって(今はその次の手ごろな目標がないのだが)、常にステップアップできるステージが用意されてないと、選手は強く ならない。そのためには、社会人クラブで選手(学生オリエンティアは当然、異種アスリートも)を育てられるような環境整備、そして、社会人オリエンティア が競い合える環境を整備する必要がある。





■選手強化に対し、組織のあり方は、どうあるべきでしょうか?

私は、JOAの強化委員長として、高橋尚子を育てることはできない。高橋尚子は小出監督が育てた。陸連は何もしなかった。世間ではそう言われる。しかし、 高橋尚子が目指して出場できなかった都大路の駅伝も、大阪体育大学で活躍した大学駅伝も陸連が苦労して続けているものである。そして、実業団チームがあ り、高橋尚子が、リクルートの門を叩いたから、小出監督とともにシドニーのメダルが生まれた。陸連は何もしていないわけではない。

そうした環境作りがJOAと強化委員長に求められることだと思っている。

JOA強化委員会のやるべきこと、民間のやるべきことがある。





■ナショナルチームの強化と、選手層の増強、若手の育成、普及、資金調 達、対外アピールなどは、それぞれ独立なように見えて、実に密接に関わるものだと思われます。それらに関する考えを聞かせてください。

これはこの5年で取り組んだことである。もともとSQUADはJOAの組織ではなかった。そこで我々はJOAの古い体制を新しくする働きかけを行い、その 取り組みは2005年3月に実を結んだ(JOAの体制が一新された。SQUADも公的な組織であるJOA内に取り込まれた)。新体制はまだ始まったばか り。全体でがんばって行く必要がある。

その中で強化委員は一定の役割を果たす。それは、WOCの成績向上と、対内的アピールの2つである。





■ずばり、2005年愛知での世界選手権の結果は、宮川さん自身はどう 捉えていますか?

惨敗。2005年に至るまでの取り組みは「失敗」だったと捉えている。

目標(個人戦20位、リレー6位入賞)を達成できなかった。特にミドルとスプリントで20位の壁を感じた。中でも東欧諸国などの中堅国に負けたことは少な からずショックだった。考えるに、彼らは、車で北欧に行くことができる。つまり、オリエンテーリングの本場である北欧でトレーニングができるのだ。

2001年に2005年の誘致が決定し、2005年に向けて選手強化を図ろうとしたとき、我々の前には2つのルートチョイスがあった。1つ目は、選手を北 欧に派遣し、トレーニングを積ませること。2つ目は、北欧からコーチを呼ぶこと。1つ目の選択は、限られた選手の強化、またその選手の直前の故障、などの デメリット、リスクがあった。2つ目は、多くの選手を強化できる。リスクが少なく、メリットが大きいように感じた。そして我々はプロフェッショナルコーチ であるイーキスを召喚した。しかし今になって思えば、ルートチョイスを間違えたのでは、と思う。

私も、普通なら、2005年の惨敗(目標未達)の責任をとって辞任するべきところだと思っていた。しかし、今もまだおめおめとやっているのは、指導者養 成、若者の発掘育成、医科学的なトレーニング研究の礎を築くための道(方向性)を定着させるまでがんばろうと思っているからだ。





■2005年を終えて、何人かの代表選手が引退し、また、強化方針も転 換され、チームが新しく形成されつつあります。今後のチームについて、どういったビジョンをお持ちでしょうか?

リソースがより限定的になったのは事実。そこで強化方針も転換する必要に迫られた。

チームが新しくなり、今はチーム内の温度差が広がっているように思う。しかしそれはそれで良いと思う。それぞれの選手が求めるものが違う。それをまとめる のがロブ(2006年からナショナルチームのコーチに就任)だ。

イーキスはプロフェッショナルコーチであったが、ロブはプロフェッショナルコーチであり、プロフェッショナルなオーガナイザーであり、プロフェッショナル なマッパー、コントローラーでもある。イーキスとロブでは、考え方、取り組み方が大きく違うだろう。ロブは、選手個人の力だけでなく、周囲の協力を得て、 目標を達成しようとするタイプ。これが我々の選択した「新しい血」である。

私自身は引き続きオーガナイザーを務める。組織育成のアプローチを取る。

組織が選手と同じビジョンを共有化することはできないと私は考える。それは、先も言ったように、JOAのやるべきことと、民間のやるべきことがある。組織 は、選手がワクワクする目標と同じ視線ではいけない。





■チーム内の議論で、(若手選手の)動機付けや、競技に対する熱意(コ ミットメント)に対しての問題提起もありました。チームとして、あるいは組織として、個人の意識を高める仕組み(教育や環境)が作れないものでしょうか。 それについてはどうお考えですか。

まず、同じNT(ナショナルチーム)の中でも、温度差がかなりあるということを理解しなければならない。

2005年の追い込みの時期には、3日間で150個のポスト設置をして、回るのが4、5人なんていう合宿もやった。確かに雰囲気は締まる。しかし、常にそ うするのがいいと思っていない。圧倒的に選手層が薄い日本のエリートオリエンテーリング界では、次に続く世代を(意識レベルを上げるという意味で)教育し ながらやって行かなければならない。合宿でエミット150個つけて、走るのが10人では、労力という資源の無駄遣い。従って、NT合宿は30人規模で原則 オープン(強化選手以外でも参加可)を考えている。






■最近のナショナルチーム選手の一部からは、チームとしてもう少しフィ ジカル強化に力を入れては、という提案があるようです。組織としては、どうお考えですか。

簡単に言えば、例えば合宿など数少ない集合研修で、しかも、森の近くで体力トレーニングを行うことは、もったいないと思う。競い合える環境、森を走れる環 境下では、テクニカルなトレーニングをやるべきだろう。また、オリエンテーリングのテクニックと比較して体力トレーニング、例えば陸上競技ならば、国内に は、指導者や指導機関の数が圧倒的に多いということもある。つまり、5000メートルを15分で走るためのプロセスを指導するのは、我々でなくてもでき る。そして、フィジカルなトレーニングこそ、いわば、365日の積み重ねで、そのためには、選手個人の生活圏の中に、指導を受ける場所や指導者を見つける べきだと思う。ただ、その人たちに出来ない情報(森の中を走る方法や地図を見ながら速く走る方法)は研究しているが。

従って、もし今、選手から、体力面の強化について相談を受けた場合、私のアプローチは、選手の環境を聞き出すこと(住所は、勤務地はどこか)、そして、選 手のレベルに合わせたトレーニング場所やコーチを推薦・斡旋することにある。ただ、コーチを決めるというのは、難しいもので、選手側の努力や熱意が重要。 選手個々の生活圏も違えば、選手それぞれの求めるものも違う中、組織としてこの方面の施策が取りにくいことは、分かってもらえるだろう。

要は、フィジカルは自分の生活圏の中でやれば良いと思う。民間、地域クラブの質の向上が必要。陸上では、地域で質の高いトレーニングができる仕組み、歴史 がある。少しでもそれに近づけたい。

そして、注意しなければならないのは鏑木さんの言う通り、陸上とオリエンテーリングは使う筋肉が違うこと。陸上の専門家から指導を受け、その先生が持って いないもの、上りの筋力や藪を走る調整力を自ら補っていく。

インタバルやレペで心臓を大きくすることは絶対必要。特にスプリントでは、急激なスピードの変化に対応するよう、5000mよりも800や1500の選手 のような心臓を作ることが良いと思う。

選手個々が今持っているもの、体、経験、環境、目標などを総合的に判断して、トレーニングは組み立てられるものであり、お金をかけて集まって合宿でインタ バルや補強をしたり、ネットで走行距離だけを集計して最低月間○○キロ走れと言ったりしてもしょうがないと思っている。





■森の中でオリエンテーリングをしながら、フィジカルを鍛える方法もあ ると思います。どこかの公園で15kmや20kmのパークOをしたり、富士の100コンピ等を利用して、集団でマススタートインターバルをしたり。ロング 決勝を走るためには、2時間以上、ある程度テクニカルなコースをノンストップで集中して走る練習も必要です。これらはもちろん、選手の有志で行うことも可 能な話ですが。
そして選手、特にシニアの選手は、むしろ、強化する側、メニューを考える側、そして指導する側に半分足を突っ込んでも良いような気がします。また、シニア 選手は、運動生理学的なトレーニング方法をある程度理解しています。そういった面で、若手の育成にも携われるはずです。最近ではオリエンティアの子供、2 世が大きくなってきています。彼らは、これまで多くの日本選手が越えられなかった壁の一つである経験(OL開始年齢)の差がクリアできる将来有望な選手だ と感じています。

そういった選手からの発案・アイデアは歓迎している(ただし、設置や運営等のリソース(財源、人手)が限られている問題もあるが)。我々、合宿などを企 画・運営する側も「モチベーション」が必要である。せっかく企画して準備しても、選手からの反応がない、あるいは違うイベントに参加されると、スタッフの モチベーションは下がる。選手の希望を言ってもらえると助かる。我々は、選手もスタッフもアマチュアであり、スタッフもほぼボランティアベースである。だ から「こうしろ」、「こうあるべき」などは言いにくい部分がある。

合宿の見直しも進めている。NT全体で同じメニューを追求するコアな合宿を10月と年末(今年だけ3月)に留め、それ以外の合宿、トレーニングウィークエ ンド、大会参加に引っ掛けた週末など(年に2-3回)、選手の企画発案による自由度を増した合宿を小規模に行っていくなど方針を変えている。

指導者の養成については、喫緊の課題として、取り組み始めている。また、各地域クラブに指導者がほしいところ。今の強化部の課題の一つは指導者養成であ る。

強化委員会としては、以下の5点を重点的な課題として取り上げ、施策に取り組んでいる。
1)日本代表チームの育成
・強化合宿の実施
・選考会の実施
・世界選手権へのコーチ派遣
2)競技力向上指導者の育成
・「競技力向上指導者」の養成プログラムの育成
3)青少年競技者の育成
・学生指導者の指導スキルの向上習得機会の提供
・ジュニア向け合宿の企画
4)医科学的見地からの競技力向上
・メディカルスタッフミーティング
・アンチドーピング研修
5)広報宣伝活動の強化
・対外的なイベントを企画

来年のゴールデンウィークに、これらの考えをもとに新たな取り組みのイベントを考えている。





■これまでの強化委員会の働き、中でも特にフィジカル強化の取り組みに ついて、うまく行った点、うまく行かなかった点について教えてもらえますか? また、今後に向けた知見がありましたら合わせて教えてください。

うまく行った点は、ナショナルチーム選手に刺激を与えられたこと。うまく行かなかった点は、継続性。

フィジカルな努力が本当にオリエンテーリングの結果に結びつくのか。フィジカルに取り組んだお陰で、初めてテクニックという壁にぶつかったように見えた。 つまりは以下の2点のことを感じている。

1)高速で移動しなければ見えてこない技術がある。これまで分からなかったテクニック。頭に酸素が行きづらくなったとき、高速で視野が狭くなったときに試 される技術が本物の技術。

2)F1、カーラリーと同じで、オリエンテーリングはブレーキングの勝負。(ちなみにF1やカーラリーはフィンランドなどが強く、彼らはそれを誇りに思っ ており、またフィンランド人のイーキスは、車の運転でもかなり飛ばす。)いかに速く走れるか、と同時に、いかに止まれるか、いかに最小限にスピードを落と せるかが重要となる。





■最後に、今後、世界選手権で上位入賞を目指す若者に、メッセージをお 願いします。

オリエンテーリングは、日本のお家芸と言われるスポーツではない。むしろ宗主国でない外様のスポーツ。普通のことをやっていて は勝てない。

でも日本人でそれをやった人もいる。萩原健司のV字ジャンプである。では、変わったアプローチだけで勝てるか。それもNo。地道なアプローチも同時に重要 である。(荻原の場合は、中学ぐらいから日本のトップ。スキーの組織力と財政力。北欧での転戦。V字の取り入れ。)

荻原は、スキーとは人生勉強、と言った。勝つことは人生勉強なのだ。




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